北アルプスの山嶺をはるかに望む松本平、国宝天守を擁する松本城はいつも多くの観光客で賑わっています。
松本城はもともと深志城といい、信濃守護・小笠原氏の本城である林城を守る支城郡のひとつに過ぎませんでした。しかし天文十七(1548)年、塩尻峠の合戦で小笠原長時を破った武田信玄は、村井城を拠点に小笠原領に圧力をかけ、天文十九(1550)年、「イヌイの城」(埴原城か)を屠ると、林城をはじめ小笠原氏の主要な支城はビビってしまって自落、小笠原帝国はあっけなく崩壊します。信玄は林城には目もくれず、この深志城を大々的に改修し、以後北信攻略への重要な兵站拠点になります。第三回川中島合戦の際などは、信玄の本陣を必死で探す上杉軍に対し、実は信玄は戦場にすら行かずに、後方の深志城で指揮を執っていた、などという話もあります。戦国の末期というにはまだ早いこの時期に、天嶮の山城ではなく、移動や駐屯に便利な平城である深志城に目をつけたあたりにも、信玄という男の並々ならぬ才覚を感じます。
この信玄時代の深志城がいかなる規模のお城であったものか、今となっては全然わかりませんが、いわゆる近世三ノ丸にあたる外郭部には3箇所の丸馬出しがあったことが古図からわかります(現在は全部湮滅)。いずれも武田氏時代のものといわれていますので、近世松本城相当の規模はあったのかもしれません。
現在見られる松本城の姿の基礎を作ったのは、徳川譜代の重臣から豊臣家に翻った男、石川数正の頃でした。現存する天守はその数正の子、康長時代のもの、ともいわれています。一説に、この天守は飯田城からの移築である、ともいわれるそうですが、その根拠は不明です。たぶんそんなことはないでしょう。現存天守としては姫路城に次ぐ規模の天守で、五層六階の大天守、三層四階の乾小天守、巽附櫓、月見櫓が一体化した複合連立天守の形態です。姫路城との最大の違いはその漆黒の外装でしょう。白漆喰の壁が「白鷺城」とも呼ばれる姫路城に対し、こちらはキリリと引き締まった無骨な黒塗りの板張り、「黒烏城」という別称に相応しい概観です。この質素にして華麗、無骨にして優美な、相反する要素を持つ天守はやはり「国宝」に相応しいものであり、一度は拝んでおくべきでしょう。面白いのは「月見櫓」で、近世初期に松平直政によって造営されたもの。直政は徳川家康の次男、結城秀康の三男で、乱行事件で改易の憂き目にあった松平忠直の弟にあたる人物で、初陣の「大坂の陣」で武勇を奮った人物ですが、その直政が造営した月見櫓は開けっぴろげの窓(舞良戸:まいらど)と廻縁とがおよそ「城」のイメージとかけ離れていて、やっと訪れた平和な時代を象徴する建物に見えます。
天守以外に目を向けると、本丸の御殿跡や埋門などが目を曳きます。本丸の御殿は享保十二(1727)年に火災で焼失、財源不足で再建されることはなく、その後の主要な機能は二ノ丸御殿に移ったといいます。本丸の御殿跡は現在、平瓦で当時の建物の配列を示しています。この火災のとき、必死の消火作業によって奇跡的に天守が焼け残ったのは「狐の化身・華姫」の加護である、という伝説もあります。埋門は現在、赤い橋(埋橋)を渡って料金所が建つ手前にあり、もともとは足駄塀という、堀を横切る塀があったらしいですが、これがどういう意味なのかよくわかりません。天守の直下の「水門」はもともとは舟着き場になっていたということです。自然の沼や湖ならともかく、本丸の堀に船着場、というのも一風変わっています。
本丸の南には昭和三十五(1960)年に復元された黒門枡形があり、二ノ丸に通じます。二ノ丸の北東には、本丸焼失後にこのお城の中心となった二ノ丸御殿跡がありますが、現在は発掘作業中のようで、中には入れませんでした。さらに平成十一(2000)年に復元された太鼓門枡形を越えると、外堀に達します。太鼓門枡形には「玄蕃石」なる大石もあります。外堀は北辺と東側が残るのみですが、二ノ丸周囲は石垣があまり使われておらず、「土の城」松本城の姿を楽しむことができます。
三ノ丸はほとんど市街地化し、めぼしい遺構といえば北東の惣堀くらいなものですが、埋められた堀のラインは意外とよくわかります。あちこちに自然の湧水を生かした井戸があり、松本城の周囲が豊富な湧水で満たされていたことがわかります。大手門は明瞭な遺構があるわけではありませんが、街のメインストリートである「大名町通り」が女鳥羽川の橋(千歳橋)の先で不自然にカクンと折れ曲がっており、一目でお城の名残だということがわかります。三ノ丸は広大ですが、近世城郭としてはごく標準的な大きさだったでしょう。
松本城は一大観光地であり、多くの人が押しかけますので、純粋にお城を楽しみたい方は早朝に来るべきでしょう。天守の中は階段も急で狭く、大渋滞が必至です。実は、最初にここに行った日には、天守内部のあまりの大渋滞に最上階まで辿り着けず、途中で引き返した苦い経験があります。それから、「エレベータは無いの?」とか言わないように(ホントにいるんだこれが)。
[2005.07.06]