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山頂は標高1000mを超える埴原城遠景。登山口の目印は写真中央附近の赤い屋根「蓮華寺」を目指すと良いでしょう。山は奥行きがあり、山頂まで40分ほどかかります。 |
蓮華寺裏手あたりが「御屋敷」といわれており、城主の居館や家臣団屋敷があったものと思われます。 |
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埴原城の大手口。ちなみに標柱は2005年現在では倒れてしまっていました。道が二手に分かれますのが、右手の道が大手道であるようです。 |
西側に向かって伸びる尾根上の堀1。堀の規模は小さいものの土橋と尾根上の土塁で食い違いを形成していたようです。 |
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こちらは堀2。堀はとても全部紹介できないほどあります。このお城の堀は一つ一つは小さいのですが、数が多いことと連続堀の多用が特徴です。 |
ここは堀2・3・4・5が連続する斜面。写真では分かりづらいですが、「畝状竪堀群」といいたくなるようなものです。 |
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登山道が間を抜ける堀6。主尾根上では一番鋭い堀切で、深さは最大4mほど。 |
尾根上から堀切7を見る。このあたりから主尾根上に段郭が多数現れ、小笠原氏流の山城としての特徴を濃厚に顕しはじめます。 |
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延々と続く段郭群。ひとつひとつは小さいものの、尾根を直登してこの曲輪群を一つずつ落として行くのは結構大変でしょう。 |
段郭群のうち最大のV曲輪。西側主尾根沿いに侵攻する敵を正面で食い止めるとともに、南側直下を通る大手道の頭上攻撃も狙った、防衛の要となる曲輪。 |
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主郭が近くなってくると、段郭群のなかにも小規模な石積みを伴うものが現れます。さあ山頂はもうすぐだ。 |
U曲輪、と表現させてもらいましたが、ここが実質的にはこのお城の中核となる主郭といってもいいでしょう。 |
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U曲輪の虎口。恐らく本来はもっと石積みが多用されていたと思われますが、現在は崩落してしまっている模様です。 |
U曲輪周囲の石積み。高さは1mに満たないものの、場所によって二段に構築されており、見ごたえがあります。 |
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U曲輪南側の石積みライン。このあたりが最大の見どころとなる部分です。風雪に耐え続けた石積みの美しさが心に染み入ります。 |
これが竪堀を塞ぐ石積み。桐原城でも同様なものが見られます。 |
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T・U曲輪の北側にある堀10・11は二本の短い横堀によって連結されており、アルファベットの「A」に近い形の特異な形状をしています。 |
一応主郭としたT曲輪。背後の大土塁が印象的ですが、Uが主郭、こちらは詰の曲輪、と見てもよさそうです。 |
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搦手にあたる東側尾根続きの堀25。主郭との高低差は10mほどありますが、自然地形をうまく利用したものです。この堀は南端附近でカギ型に折れて帯曲輪へ繋がっています。 |
謎の遺構、東側尾根続きの堀底状通路。どういう意図で作られたのか、イマイチ読み解くのが難しい遺構ではあります。 |
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その堀底状通路はあちこちで分岐し、竪堀へと繋がります。竪堀自体は城郭遺構であることがまず確実なので、竪堀と繋がった堀底通路も遺構の一部と見ていいのでしょう。 |
搦手筋をずっと登った上にある堀27。土橋と、なんと石積みまで備えています。 |
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北側に派生する支尾根上の堀9。鋭い薬研型が印象的です。このあたりの山腹は非常に急斜面で、移動するのが大変です。 |
主郭部の南の腰曲輪にある水の手。石積みがハッキリしています。井戸ではなく、地下でどこかから導水されているらしいですが、その経路は不明。それにしてもこの高い山城で地下水路とは、中世の人間達もなかなかやりますなあ! |
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主尾根と、南側に派生する支尾根2筋の合流点に位置するW曲輪。ここも防衛の要となります。 |
W曲輪脇の竪堀12。いくつもの竪堀を合流しており、自然の沢へと繋がります。 |
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南側支尾根にも麓近くまで延々と堀切が。木々の間に城下の集落が見えています。 |
南側支尾根の堀22。土橋が明瞭です。 |
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さらに南西支尾根にも堀が・・・・いったい、このお城には堀がいくつあるんだ!? ただ、こういう小さな堀を沢山作るより、でかいやつを一つ作るほうが効率的なような気もしないでもないなあ。 |
W曲輪から南側の谷戸に向かって降りてみると、両側の尾根には夥しい竪堀があることがわかります。まさにウネウネです。 |
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この谷戸をずっと下ると、広い屋敷地のような場所があります。実は南側にも居館があったものか? |
この屋敷のような平場、石積みまであります。屋敷もしくは寺であった可能性もあるように思います。 |