不発に終わった小笠原の大要塞

埴原城

はいばらじょう Haibara-jo

別名:

長野県松本市中山

城の種別

山城

築城時期

不明

築城者

不明(埴原氏?)

主要城主

埴原氏、小笠原氏

遺構

曲輪、石積み、堀切、竪堀、土塁

主郭周囲の石積み<<2002年11月10日>>

歴史

築城年代・築城者は定かではないが、もともとの在地領主・埴原(村井)氏の居城であったという。やがて埴原氏は府中小笠原氏の配下となり、埴原城も小笠原氏の属城となったという。

天文十九(1550)年七月十日、武田晴信は村井城に入り、小笠原長時の属城を攻撃した。七月十五日には「イヌイの城」を陥落させて勝ち鬨を挙げると、小笠原氏の属城は大城(林城)深志城、岡田城、桐原城、山家城の五ヶ城が相次いで自落した。この「イヌイの城」は一説に埴原城に比定されているが、定かではない。小笠原氏没落後の埴原城についての記録は無く、そのまま廃城となったものと思われる。

信濃守護・小笠原氏の本拠である林城をめぐる支城群のうち、最も規模が大きいのはこの埴原城でしょう。いったい城域がどこから始まってどこまで続くのか、一度や二度の調査では掴みきれないほどです。

天文十九(1550)年の武田軍による松本制圧戦では、「イヌイの城」が陥落すると、「大城(林城)、岡田、桐原、山家自落」ということで、周辺の支城群も戦わずして自落・開城に追い込まれました。問題はこの戦闘のキーとなった「イヌイの城」ですが、これを埴原城に比定する考え方が主流なようで、現地解説板においてもそのように記載されています。しかしイヌイの方角(=北西)ということを考えると、どこを基点にするかにもよるのですが、少なくとも林城から見たら「イヌイの城」ではないですね。武田軍の主力基地となった村井城から見ても「イヌイ」じゃないし、どうなんでしょう。素直に考えると「イヌイの城=犬甘城」の方がよさそうな気がするんですが。。。

しかし、「イヌイの城」かどうかはともかく、この埴原城は間違いなく小笠原支城群最大の軍事要塞でしょう。林城の詰城、という見方すらあります。林城が守護の居城として、ある程度地域支配の中心としての機能を兼ね備えているとすれば、こちらは戦闘に徹した純軍事的要塞といえそうです。林城の衛星支城としては南端にあたるため、塩尻峠の敗戦の後、武田軍の松本侵攻に備えて、大々的に拡張されたように思います。まあいずれにしても、これだけ周到に大要塞を築いたにも関わらず、目と鼻の先に武田軍の出城(村井城)を築かれても手も足も出ず、一夜の戦闘で属城も次々と落城・自落。せっかくの大要塞も結果的に見れば全くの不発に終わってしまったようで、何か勿体無いというかなんというか・・・。ある意味では、桐原城とともに、没落寸前の小笠原氏の強い危機感を形に表している貴重な遺跡ともいえそうです。

埴原城平面図(左)、主要部鳥瞰図(右)

※クリックすると拡大します。

全体の印象としては図を見ていただいて分かるとおり、広大な山の支尾根の至るところを堀切っており、堀切・竪堀の数はざっと見ただけでも30を超えます。今回歩いていない支尾根や、気づいていない竪堀もあったと思われるので、その数はさらに増えるでしょう。竪堀は長く長く延びており、自然の谷地形を生かして連結されていたりします。主郭背後の竪堀などは横堀によって連結されていたりして、なかなか複雑です。

主郭附近ではかなりの石積み遺構が見られます。林城にも若干の石積みがありますが、埴原城桐原城、山家城などの方が見事です。埴原城の石積みの範囲は主郭と主尾根上の3つ程度の曲輪まで程度ですが、主郭南側の石積みは二段に構築され、総高3mほどあります。いわゆる「高石垣」とは全然違いますが、古城らしい趣のある、美しい石積み遺構です。桐原城でも見られる、竪堀の上端を塞ぐように築かれた石積みもなかなか興味深いので、ぜひ注意して見て欲しい遺構です。不思議なのは尾根続きに残された遺構で、尾根の稜線にほぼ沿って、塹壕状のジグザグな堀というか通路が延びていることです。しかも所々分岐して、竪堀というか斜め堀というか、山腹に向かって落ち込んでいます。埴原城だけではなく桐原城平瀬城など、周辺の山城のうち、尾根続きの方が高いお城に見られるもので、城郭遺構かどうか「?」な部分もあるのですが、ところどころで明らかな竪堀が派生しており、さらに木材を曳き出した跡とも少し違うようなので、城郭遺構と考えてもいいのでしょう。尾根続きの方が高いという地形上の制約に対処したものではあるのでしょうが、その意図は今ひとつ不明です。もしかしたら尾根続きから攻めてくる敵を迷わせるためのトラップ?のようにも思えます。

登り口は複数ありますが、蓮華寺を目印にするのが最も分かりやすいでしょう。ここから寺の脇の農道を少し登ると登山口があります。ただ登山口の標柱が腐って斃れていたり、解説板が風化して字が全然読めなかったりするので、ぜひなんとかしてほしいところではあります。

[2005.10.22]

山頂は標高1000mを超える埴原城遠景。登山口の目印は写真中央附近の赤い屋根「蓮華寺」を目指すと良いでしょう。山は奥行きがあり、山頂まで40分ほどかかります。 蓮華寺裏手あたりが「御屋敷」といわれており、城主の居館や家臣団屋敷があったものと思われます。
埴原城の大手口。ちなみに標柱は2005年現在では倒れてしまっていました。道が二手に分かれますのが、右手の道が大手道であるようです。 西側に向かって伸びる尾根上の堀1。堀の規模は小さいものの土橋と尾根上の土塁で食い違いを形成していたようです。
こちらは堀2。堀はとても全部紹介できないほどあります。このお城の堀は一つ一つは小さいのですが、数が多いことと連続堀の多用が特徴です。 ここは堀2・3・4・5が連続する斜面。写真では分かりづらいですが、「畝状竪堀群」といいたくなるようなものです。
登山道が間を抜ける堀6。主尾根上では一番鋭い堀切で、深さは最大4mほど。 尾根上から堀切7を見る。このあたりから主尾根上に段郭が多数現れ、小笠原氏流の山城としての特徴を濃厚に顕しはじめます。
延々と続く段郭群。ひとつひとつは小さいものの、尾根を直登してこの曲輪群を一つずつ落として行くのは結構大変でしょう。 段郭群のうち最大のV曲輪。西側主尾根沿いに侵攻する敵を正面で食い止めるとともに、南側直下を通る大手道の頭上攻撃も狙った、防衛の要となる曲輪。
主郭が近くなってくると、段郭群のなかにも小規模な石積みを伴うものが現れます。さあ山頂はもうすぐだ。 U曲輪、と表現させてもらいましたが、ここが実質的にはこのお城の中核となる主郭といってもいいでしょう。
U曲輪の虎口。恐らく本来はもっと石積みが多用されていたと思われますが、現在は崩落してしまっている模様です。 U曲輪周囲の石積み。高さは1mに満たないものの、場所によって二段に構築されており、見ごたえがあります。
U曲輪南側の石積みライン。このあたりが最大の見どころとなる部分です。風雪に耐え続けた石積みの美しさが心に染み入ります。 これが竪堀を塞ぐ石積み。桐原城でも同様なものが見られます。
T・U曲輪の北側にある堀10・11は二本の短い横堀によって連結されており、アルファベットの「A」に近い形の特異な形状をしています。 一応主郭としたT曲輪。背後の大土塁が印象的ですが、Uが主郭、こちらは詰の曲輪、と見てもよさそうです。
搦手にあたる東側尾根続きの堀25。主郭との高低差は10mほどありますが、自然地形をうまく利用したものです。この堀は南端附近でカギ型に折れて帯曲輪へ繋がっています。 謎の遺構、東側尾根続きの堀底状通路。どういう意図で作られたのか、イマイチ読み解くのが難しい遺構ではあります。
その堀底状通路はあちこちで分岐し、竪堀へと繋がります。竪堀自体は城郭遺構であることがまず確実なので、竪堀と繋がった堀底通路も遺構の一部と見ていいのでしょう。 搦手筋をずっと登った上にある堀27。土橋と、なんと石積みまで備えています。
北側に派生する支尾根上の堀9。鋭い薬研型が印象的です。このあたりの山腹は非常に急斜面で、移動するのが大変です。 主郭部の南の腰曲輪にある水の手。石積みがハッキリしています。井戸ではなく、地下でどこかから導水されているらしいですが、その経路は不明。それにしてもこの高い山城で地下水路とは、中世の人間達もなかなかやりますなあ!
主尾根と、南側に派生する支尾根2筋の合流点に位置するW曲輪。ここも防衛の要となります。 W曲輪脇の竪堀12。いくつもの竪堀を合流しており、自然の沢へと繋がります。
南側支尾根にも麓近くまで延々と堀切が。木々の間に城下の集落が見えています。 南側支尾根の堀22。土橋が明瞭です。
さらに南西支尾根にも堀が・・・・いったい、このお城には堀がいくつあるんだ!? ただ、こういう小さな堀を沢山作るより、でかいやつを一つ作るほうが効率的なような気もしないでもないなあ。 W曲輪から南側の谷戸に向かって降りてみると、両側の尾根には夥しい竪堀があることがわかります。まさにウネウネです。
この谷戸をずっと下ると、広い屋敷地のような場所があります。実は南側にも居館があったものか? この屋敷のような平場、石積みまであります。屋敷もしくは寺であった可能性もあるように思います。

 

 

交通アクセス

長野自動車道「松本」ICより車20分。

JR篠ノ井線「南松本」駅または「村井」駅から徒歩60分で登り口。バス等は不明。  

周辺地情報

松本城林城はまず先に見たほうが位置関係が把握しやすいです。周囲のお城でオススメなのはダントツで桐原城。埴原(村井)氏の居館とされる村井城も遺構は無いものの近い。

関連サイト

攻城日記の頁、「信濃城攻め紀行」もぜひご覧下さい。

 

参考文献

「戦史ドキュメント 川中島の戦い」(平山優/学研M文庫)

「日本城郭大系」(新人物往来社)、現地解説板

参考サイト

ゆうさんの独善的松本案内

埋もれた古城 表紙 上へ