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小笠原氏の本城である林城から遠望する桐原城。林城とは薄川を挟んで2kmほど、まさに林城防衛の切り札ともいえる位置関係。 |
近くで見ると同じような山の端ばかりでどれが桐原城かわかりづらい。「山辺ワイナリー」前から北東の集落に入り、「追倉沢」沿いに舗装道路を登ると登山口に看板が立っています。 |
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登り始めて10分ほど、尾根の上から睨みつける虎口A。二重の堀切と高い土の壁で攻撃者を圧倒します。 |
ここから暫く、夥しい数の段郭群が続きます。このあたりは林城を筆頭に、モロ小笠原氏関連城郭のニオイがするところです。 |
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虎口Aに輪をかけて厳重な虎口B。もともと石積みだったようです。虎口は向かって右手に、枡形状に折れ曲がっています。 |
虎口Bの上から登城者を監視!ここを突破するのは至難の業でしょう。この虎口から上は不思議なことに、暫く自然地形の斜面が続きます。 |
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虎口Bの前を遮る堀2。このあたりの堀は埋まっていて分かりづらいですが実は二重堀、しかも西側は長大な竪堀が続いていてなかなか見事です。 |
目立たないですが石積みを伴う虎口C。九十九折の道が海岸寺沢方面から続いています。 |
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主要部に突入するにつれ、夥しい石積みが目の前に現れます。ただし道に沿って登っていると主郭下を通過して搦手に至ってしまうので、適当な場所から主郭方面へよじ登ると良いでしょう。本来の道は今ひとつ不明瞭でよくわかりません。 |
竪堀の最上端を塞ぐ石塁の壁。竪堀を攀じ登って来た敵を寄せ付けぬための仕掛けか?同様のものは埴原城にも見られます。 |
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主郭は周囲に石積みを伴い、尾根続きの東側にはお約束の大土塁があります。この土塁もところどころ石積みが残っています。 |
主郭周囲の石積み遺構。いわゆる「高石垣」ではなく、最高でも2mに満たない低いもの。しかしその威容は今でも迫力十分です。 |
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主郭の北西、直線的な折れを持つ石積みの列。 |
主郭背後の大土塁の裏側(搦手側)にも石積みが。ちなみにこの土塁の背後は堀切ですが、途中に小さな平場があるのが特徴です。 |
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主郭虎口は本来は石積みで固められていたようですが、かなり崩落しています。それでも内枡形の原型はよく留めています。 |
主郭背後の堀切7。尾根続きは複雑な堀の連続技が見られます。 |
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堀7は主郭の北端下段をグルリと取り巻くように横堀に変化します。 |
堀7はそのまますさまじく長大な竪堀に変化し、途中堀8を分岐させ、二つの堀が並んで山麓まで達します。とにかくスゴイ竪堀だ・・・。 |
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堀7から派生する堀9、急斜面を竪堀となってこちらも山麓近くまで続きます。 |
そして堀8と堀9に挟まれた北側斜面一帯に広がる連続竪堀!写真でもウネウネがわかるでしょう。 |
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連続竪堀を別角度から。まるで洗濯板のようにウネウネと続く。追倉沢沿いの交通路を意識した遺構ではないかと想像します。 |
搦手の尾根続き方面にも複雑な遺構が。堀と堀に挟まれた土塁にまで石積みが見られます。 |
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主郭より高所になる尾根続き方面に複雑に張り巡らされた堀底状通路。同様なものは山麓近くにもありますが意図は今ひとつ不明。 |
主郭の一段下のU曲輪。この曲輪と、袋小路状のY曲輪などは主郭防衛のための要ともいえる位置にあります。 |
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U曲輪の塁壁下の腰巻状石積みのライン。このお城では塁壁上端の「鉢巻」石積みと下端の「腰巻」石積みを使い分けているようです。 |
W曲輪からV曲輪側の石積みラインを見上げる。このあたりの光景はまさに「石の砦」という表現がピッタリ。 |
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オカ殿が「馬の水呑み場」と名づけた、V曲輪虎口脇の方形の石積みライン。枡形にしては位置がおかしいし、順当に考えれば虎口脇の番所跡、というところでしょうか。 |
V曲輪虎口の石積みとその奥の枡形空間。各虎口はほとんどが石積みを伴うもの。ただ、大手道からの接続がイマイチ不明瞭ではあります。 |
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山麓の墓地背後は古図によれば「蓮法寺屋敷」、一時期は寺があったようですが、本来的には城主居館でしょう。 |
遠くからでも見える、蓮法寺屋敷の立派な石積み。これを見るにつけ、城主の屋敷がここにあったことを確信させてくれます。 |