とんだ人違いで落城した

犬甘城

いぬかいじょう Inukai-jo

別名:犬飼城

長野県松本市蟻ヶ崎

(城山公園)

城の種別

平山城

築城時期

正平年間(1346-70)頃

築城者

犬甘氏

主要城主

犬甘氏

遺構

曲輪、堀切、土塁、横堀(?)

堀切と主郭<<2005年06月25日>>

歴史

築城年代・築城者は定かではないが、正平年間(1346-70)頃、この地の古代豪族で国衙の在庁官人であった犬甘氏が築いたというが詳細は不明。

天文十九(1550)年七月十日、武田晴信は村井城に入り、小笠原長時の属城を攻撃した。七月十五日には「イヌイの城(埴原城か)」を陥落させて勝ち鬨を挙げると、小笠原氏の属城は大城(林城)深志城、岡田城、桐原城、山家城の五ヶ城が相次いで自落した。小笠原長時は林城を捨てて一時平瀬八郎左衛門が守る平瀬城に逃れた後、葛尾城の村上義清を頼って落ち延びた。このとき犬甘城は犬甘大炊助が守っていたが、馬場信房の計略で乗っ取られたと伝えられている。

江戸時代後期の天保十四(1843)年、松本藩主戸田光庸のときに遊園の地として領民に開放されたという。

国宝・松本城から1.5km、松本城の天守を南東から撮影すると左下あたりにチョコンと写る丘陵の端が「城山公園」となっている犬甘城です。ある意味では松本城見学のついでに最も訪れやすい城址かもしれません。

城主の犬甘氏は室町期には守護・小笠原氏の配下となっていましたが、もともとこの地に古代から根を張った豪族であり、国衙に仕えた官人であったということで、この地の名族であったといってもいいでしょう。松本城の前身となる深志城にしても、あるいは埴原城平瀬城などの城主もみな犬甘氏の分流のお城だったということですから、現在の松本市中心部をほぼ抑えていたのでしょう。

天文十九(1550)年、小笠原長時は武田信玄の攻撃により、林城ほか周辺の支城を棄てて、村上義清のもとに身を寄せます。小笠原の旧臣は、長時に従ったもの、あるいは武田軍に寝返ったり降伏したりしたものなど様々でしたが、犬甘氏は平瀬城の平瀬氏とともに、自らの居城に残って武田軍に抵抗したようです。深志城からはまさに目と鼻の先にあるので、この場所で持ちこたえることができたものかどうか、多少疑問ではあります。

しかしこの犬甘城、とんだ珍事件で武田軍に乗っ取られてしまいます。天文十九(1550)年の秋、深志城代の馬場信房が家臣二十騎ばかりを引き連れて夜道を苅谷原あたりまで偵察にでかけた帰り道、行く手から騎馬の武士十騎ほどと行き会いました。このなかの一人が近づいてきて「お手前方は村上殿の援軍とお見受けいたす。ソレガシ犬甘大炊助、お出迎えに参った」などと声をかけてきます。ははん、これは敵味方を間違えおったな、と見抜いた馬場信房、「いかにも村上の援軍でござる」とかなんとか言いながら相手を安心させ、その隙に配下の者にこのちょっと間抜けな敵をさっと包囲させます。犬甘大炊助、これはオカシイと気づいたときには後の祭り、馬場勢に取り囲まれて居城にも帰れず、追撃する馬場勢をなんとか振り切って夜の闇に消えていったという。城主を失った犬甘城はあっけなく落城してしまった・・・。

などという話が、小笠原旧臣の二木重高の思い出をまとめた『二木家記(二木寿斎記)』に綴られているということですが、眉唾モノというか、「そんなわけないよなあ」という話ではあります。

犬甘城平面図

※クリックすると拡大します。

その後の犬甘城は多分すぐ廃城となってしまったんでしょう。面白いのは江戸末期にここが市民公園として開放されたということで、ここから松本城はすぐ眼前、一応軍事機密とされるお城の縄張も丸見えのこの場所を開放してしまうなんて、いかにこの時代、実戦というものが遠いコトになっていたかを物語るようなエピソードではあります。

この犬甘城、城山公園の西端の尾根にあるのですが、西側は奈良井川に向かって断崖に近い地形なのでまずまず堅固といえますが、芝生公園になっている城山公園側は延々と緩斜面が続き、防御面ではなんとも心もとない地形ではあります。もともと単独での防御力云々よりも、平時は深志城北方の物見、戦闘時は深志城や周辺の城砦群と一体となって運用されることを念頭に置いたものでしょうが、どうにも地形的な弱点が目立ちます。遺構はまずまず残ってはいますが、一部は改変されているために旧状がどうであったかわからない部分もあります。とくにこの緩斜面の東側をどう処理していたのかは興味のあるところです。いずれにせよ遺構の規模は小さく、少なくとも武田氏の占領以後は全く用いられずに廃城となったものでしょう。

遺構面ではあまり特筆するほどのものはありませんが、ここからは松本城を眼下に見下ろすことができます。国法天守を上から眺めることができるなんて、なかなかゼイタクな立地ではないですか。犬甘城を見に来るというよりも、ぜひ松本城を見に来てください。

[2005.10.23]

おお、松本城の天守は美しいなあ!と見とれている場合ではない。この写真の主役は背景にポツンと写る犬甘城なのだ。 奈良井川のほとりから見上げる犬甘城。この川に面した西側は急斜面でかなり守りが堅いことが伺われます。
城山公園の奥のほうへ向かっていくと、明らかに堀(堀1)と思われる地形が。この写真左側の曲輪に展望台がありますので、ぜひ登ってみましょう。 その展望台から見た松本城。こうして上からお城を見るっていうのは実に気分がいいものです。これだけでも来る価値あり。拡大!
曲輪は尾根筋の一番高いところに一直線に並んでいます。が、あまり変化も工夫も無い縄張ではあります。 主郭手前にあたる堀3。このあたりが一番城郭遺構らしさを残しているといえるでしょう。
V曲輪から堀切越しにT、U曲輪を見る。階段のあたりに虎口があったようにも見えますが、どうにも公園化の過程で元がどうだったのか分かりにくくなってしまっています。 気になったのがこの東側の花壇。ちょうど位置から見ると横堀に見えます。このお城は東側にこうした堀でもないとどうしようもない地形だし。
主郭がどれかも分かりづらいですが、二段になっているT、U曲輪、このあたりが最上位の曲輪と思われます。 主郭背後の腰曲輪。ちょっと馬出しっぽい形状にも見えます。
深い谷に沿って西側の女鳥羽川脇に下りる道。この方面はところどころ断崖絶壁になっていて、少なくとも西側の守りだけは鉄壁。 しかしこの東側のベローンとした地形はどうしようもない。公園化の過程でそんなに大きく地形が変わったとも思えないし・・・。

 

 

交通アクセス

JR大糸線・篠ノ井線・松本電鉄線「松本」駅より徒歩30分。

長野自動車道「松本」IC車15分。

周辺地情報

まずは松本城。山城派は林城埴原城桐原城などをぜひどうぞ。

関連サイト

 

 

参考文献

「戦史ドキュメント 川中島の戦い」(平山優/学研M文庫)

小学館ウィークリーブック「名城をゆく12・松本城」(小学館)

「信州の城と古戦場」(南原公平/令文社)

「日本城郭大系」(新人物往来社)

参考サイト

ゆうさんの独善的松本案内

埋もれた古城 表紙 上へ