松本城散策(3)

二ノ丸〜三ノ丸

本丸 天守内部 二ノ丸〜三ノ丸 エピソード おまけ

「辻馬出し」形式の若宮八幡曲輪と埋橋を天守から。八幡曲輪は記念撮影スポットになっているので、時間によっては観光客で満員御礼になります(^^;) 八幡曲輪の腰巻石垣(というか石列)。堀が結氷したときに土居を傷つけないための工夫であるのだとか。寒冷地仕様というところでしょうか。

二ノ丸の「八千俵蔵」跡。幕府の命で八千俵もの備蓄米を義務付けられたのだとか。中小の藩にとっては大変なことだったでしょう。 本丸焼失後に松本城の中核となった二ノ丸御殿跡。塀の復元に向けての発掘調査中で中には入れなかったのが残念。
平成11年に復元された太鼓門枡形。櫓門と高麗門、さらに「続櫓」まで伴う、この手の枡形としてはかなり堅固なものであったそうです。 石川玄蕃頭康長が、あまりの重さに文句を言った人夫の頸を刎ねてしまった事から名づけられた「玄蕃石」。それにしてもやることが野蛮すぎ。やだね、権力者の驕りって・・・。

紅葉が美しい二ノ丸外堀。このあたりは腰巻石垣以外は「土の城」で、本丸とはまた違った表情が楽しめます。 市立博物館の建つあたりが「古山寺御殿」で、この角が「辰巳隅櫓」のあった場所だという。

二ノ丸北東の「丑寅櫓」の櫓台、その後は「二ノ丸裏御門橋」。このあたりは「土の城」としての松本城の美しさが堪能できます。 二ノ丸の御金蔵。どれくらいのオカネが入っていたのか・・・。向こうは本丸の石垣、二ノ丸の土居との対比も見ておきましょう。

本丸北東隅の石垣を北側から。こういう反りのない石垣は文禄・慶長期の特徴なんだとか。 本丸の北門を北側から。手前の土橋は「水戸違い」になっていて、左右の堀の水位を調整する機能を持っています。

広大な三ノ丸の北側「北馬場」にある柳の井戸。自噴する泉を井戸にしたという。松本城が豊富な湧水に囲まれていたことがわかりますね。 北東部だけ残った三ノ丸惣堀。幅も広いし水も満々、素晴らしいです。

北門脇で勢い良く水を噴出す北門大井戸。本来的にはここは堀の中ですね。 丸馬出しであったはずの北門ですが、形跡はまったくなし。ただ、埋められた惣堀のラインは意外とわかります。

こちらも馬出しであったはずの東門あたり。この馬出しは丸馬出しから辻馬出し形式に改修されたのだとか。といっても現状では道がちょっとカーブしてる程度ですが・・・。 緑町通りの「辰巳の庭」。もともとは辰巳御殿があった場所で、現在は庭園風の小公園になっています。

露店がズラリと並ぶ「ナワテ通り」。昼ごろには観光客がドッと押し寄せてくるのでしょう。 自然の外堀となっていた女鳥羽川。武田氏時代にすでに付け替えが行われていたという。この川やあちこちの湧水によって松本城は水に浮かぶ平城となっていたのでしょう。

「大名町通り」が女鳥羽川を渡る「千歳橋」附近は大手門枡形の跡。明瞭な遺構は無いものの、通りの大きなクランクが特徴です。 三ノ丸の西端。「西堀通り」。このあたりは新しい道路が走っていて、旧状が想像しづらいところです。

ぐるっと一周して戻ってきました。ここはやはり丸馬田であった西不明門。じっと見つめると丸馬出しの痕跡が見えて・・・・きませんね。。。。 浅間温泉裏手の「御殿山」にある小笠原氏三代の墓所。水野氏の建立です。せっかく古河から戻ってきたのに、大坂の陣で父子揃って討ち死にとは・・・合掌。

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