江戸城めぐり その3:北ノ丸&大外郭 |
|
北ノ丸は「北ノ丸公園」「日本武道館」として親しまれており、コンサートなどで行ったことがある、という人も多いでしょう。江戸中期以降、「新御三家」となった田安家、清水家の屋敷地でもあります。江戸城の大外郭は、現在の地名で言うと千代田区ほぼ全域、中央区・港区の半分以上、下屋敷等々を含めれば新宿区、文京区などの広大な地区にあたります。都市化の中で消えていった遺構も少なくありませんが、都市のなかに溶け込むように多くの遺構が存在し、それがごく自然に日常に溶け込んでいるものまた事実です。中には遺構は跡形もなくなっても、「溜池」「御成門」「水道橋」などのように地名や駅名になって、根付いているものもたくさんあります。なかなかいっぺんに回る機会はありませんでしたので、これまで通りすがりなどにコツコツ撮り溜めてきたものをまとめてみました。でもまだまだ全部じゃないんですよね。恐るべし江戸城! | |
北ノ丸、というよりも、日本武道館としての方が有名ですね。 |
九段の交差点附近から見下ろす北ノ丸「牛ヶ淵」の堀。 |
さて田安門から北ノ丸へ。ここは地下鉄「九段下」駅方面から武道館へ向う人々の表玄関になりますね。 | そして田安門の渡櫓門を通る。武道館では年中いろんなイベントをやっているので、ここを通ったことがある人も多いはず。この日は「ミスチル」のコンサートだったようです。 |
こちらは北ノ丸と地下鉄「竹橋」駅方面を結ぶ清水門。小ぶりな門ですが、なかなかいいですよここは。 | 清水門の石段。桝形に付属する石段が綺麗に残っているのはここだけかも。上に登るに従って、道幅が狭くなります。 |
清水門の桝形を見下ろす。 | 桜の季節は花見客でごった返す千鳥ヶ淵。いつも混んでる首都高都心環状線が真ん中を突っ切っていく。 |
さて、電車で浅草橋駅へ。ここは螺旋型の江戸城外郭で最も遠い場所に当たる浅草口見附。名残はもはやなく、石碑が建つのみ。 | 東京近郊の方であればおなじみの景色、御茶ノ水駅周辺。駿河台の台地を開削して、神田川が流れております。 |
同じく御茶ノ水周辺。表向きは治水工事、本当の理由は本郷に屋敷を構える外様大名、とくに加賀前田家を警戒して、この大工事を行いました。これが人間業なのか。スゴイ。 | これもおなじみ、外堀の風景。JR飯田橋駅と市ヶ谷駅の中間くらい。 |
JR飯田橋駅の西口の改札のまん前には、牛込見附の立派な石垣が道路を挟んで対になっています。 |
同じく牛込見附の石垣。立派です。 |
飯田橋駅から市ヶ谷駅まで、外堀の土塁上を歩く。桜の季節には花見客が、それ以外の季節でも附近で勤務する人たちの格好のお弁当スポットになっております。 | JR市ヶ谷駅ホームからの風景。堀の一部は「釣堀」にもなっています。ソレガシも一度行きましたが、練り餌のニオイが指についてしまい・・・。 |
JR四ッ谷駅前にも、四谷見附の立派な石垣が鎮座しています。 | 四谷駅そのものも外堀を埋めて建てられているんです。 |
上智大のキャンパスの横には、外堀に面して土塁が延々と続きます。 | なかなか都心では土の上を歩く機会はないですね。 |
食い違い見附は江戸城の見附で唯一の土塁による食い違い虎口。今でも車道はその名残を色濃く残しています。きちんと標柱もあります。 | 食い違い見附の折れ曲がった塁壁。 |
食い違い見附は江戸城の見附で最も標高が高いところ。ここから紀尾井町、赤坂方面を見渡す。 | 紀尾井町のホテルやビジネスタワー街の入り口にあたる弁慶橋。 |
弁慶橋から食い違い見附方向を望む。 | プリンスホテルの敷地の一角にある紀伊徳川家の屋敷跡。このあたりは紀伊、尾張の両徳川家と井伊家の屋敷があったところ。それが地名に残って「紀尾井町」。 |
地下鉄の駅名にもなっている赤坂見附の石垣。こんな鮮明な刻印も。 | 赤坂見附の石垣の下を潜り込むように、首都高四号新宿線が走っています。 |
銀座の街中に解説板だけが残る芝口御門。通りの名は「御門通り」。宝永七(1710)年、朝鮮聘使を迎えるため新井白石の指揮で建築、しかしわずか14年後に火災で焼失し、以後再建されなかったという。 | 芝口御門の近く、昭和通の歩道橋下に展示されている間知石(けんちいし)と切石。この附近の工事で発掘された、大名屋敷の排水施設の一部だとか。 |
大手町の北東のはずれ、日銀の向かいにある常盤橋御門は、外郭の見附としては最もよくその遺構が残っています。 | おなじく常盤橋御門。桝形がよく残っています。が、「住んでいる」人がいるため撮影には注意、カメラを向けたりしないこと。 |
都心に残る広大な憩いの空間、日比谷公園。かつては「日比谷入り江」がありましたが、家康の入封とともに埋め立てられ、屋敷地などになりました。 | 日比谷公園の北側には、日比谷見附の重厚な石垣が残っています。 |
日比谷見附裏手の「心字池」はかつての堀。石垣も100mほど、残っています。 | お城とは関係ないがあんまり面白かったもので。この直径1.3mほどの石はヤップ島から寄贈された石貨、おカネなのです。大正十三年頃に約千円の通貨価値があったという・・・。ホントにこんなのあるんだぁ、ほとんどギャートルズの世界ですな・・・。 |