江戸城めぐり その2:東御苑 |
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東御苑として公開されているのが江戸城の本丸・二ノ丸・三ノ丸にほぼ相当します。三ノ丸は皇居関連の施設が建ち並んでいるためあまり旧態を留めていませんが、大手門から本丸に至る道筋の巨大な石垣や、本丸の天守台、汐見坂・梅林坂の風情あふれる景色などは必見。なお、東御苑の公開は月・金曜を除く曜日で、入場は3-10月は9:00-16:00まで(16:30閉園)、11-2月は9:00-15:30まで(16:00閉園)。年末年始や国事行事などの際には変更されることもありますのでご注意。詳しくは宮内庁のホームページの「東御苑の公開要領」で。 | |
さて、大手門から入城いたします。入場料は無料ですが、門の前で入園票を渡されます。帰りは別な門からでもOKですが、この入園票を返します。 |
元和以来、何度と無く火災や地震に見舞われ、最後は戦災で焼け落ちてしまった大手門渡櫓。昭和四十二(1967)年に再建されました。 |
旧大手門渡櫓の鯱。明暦の大火で門が焼け落ちて再建されたときのものであるそうです。 | 大手下乗門(三の門)前の同心番所。江戸城には三つの番所建物が残されています。 |
無事番所を通って大手下乗門を通過。ここでは、大名といえども乗り物を降りねばなりません。 | 最大の検問所、百人番所。甲賀衆、根来衆、伊賀衆、廿五騎衆らが百人ずつ交代で在番したという。 |
大手中の門の大番所。本丸に至る最終チェックポイントですな。ソレガシもチェックに合格、通過でござる。 | 大手中の門の巨石を使った石垣。綺麗に加工された切石積みですね。こうやって登城者をびびらせようというのか・・・。 |
中雀門を通って本丸へ。かつては多くの櫓が建ち、この門を入ったあたりには遠侍などがありましたが、今では建物は富士見櫓と富士見多門を残すのみ。 | 富士見櫓のうしろ姿。普段公開されている範囲からだと、正面の姿を拝むことはできません。どうしても正面から見たい人は参賀に行きましょう。 |
唯一のこる多門櫓、富士見多門。ここも後姿のみ。英語の解説だとFujimi Defense-House。「ディフェンスハウス」ねぇ。なんかスゴイ大仰に聞こえてしまう。 | 本丸、大奥を見渡す。徳川将軍家とそこに仕える多くの人々が暮らした場所。隙間無く建てられていた多くの殿舎も今は無く。 |
本丸の片隅にある石室。牢屋かと思いましたが、有事の際の大奥の調度品をかくす場所、今で言う耐火金庫みたいなものらしい。 |
天守台真裏に当たる北桔橋門の高麗門を内側から。渡櫓門はすでにありません。 |
お待たせしました。巨石をふんだんに用いた巨大な天守台です。 天守は家康の時代から、秀忠、家光と、三代に渡ってそれぞれ造営されました。 | 寛永天守は五層五階地下一階、建物だけで48m、石垣を含めれば60mもの高さを持つ高層建築だった。明暦三(1657)年の大火で焼失、わずか20年で失われ、以後再建されることはありませんでした。 |
汐見坂。かつては日比谷の入江の海がよく見えたことからこの名がついたとか。今では丸の内、日比谷あたりのビル街しか見えません。 | 汐見坂、梅林坂附近は比較的古い野面積み石垣がみられるところ。江戸城では場所や時代によって、いろんな石垣が見られるのも楽しみです。真ん中の石の刻印が見えるでしょうか? |
道灌が梅を植えて、領民たちを招いてともに愛でたといわれる梅林坂。 | 汐見坂下から白鳥濠、台所櫓跡方面を見る。この附近は今、発掘をやっている筈です。 |
二ノ丸の見どころはやっぱり庭園。家光が小堀遠州に命じて造営させたという。 | 二ノ丸の一角にある諏訪の茶屋。徳川期には吹上にあったものを、様々な変転を経た後、昭和四十三年に現在の地に移築復元されたという。 |
平川門と隣り合ってひっそり建つ、不浄門。城内の死者と、「阿呆払い」専用の門。ちなみに、生きたまま阿呆払いを受けたのは、あの浅野内匠頭と、奥女中「絵島」だけであったという。 | 2002年12月現在行われている、汐見坂附近の工事の模様。皇居楽部の改修に伴う石垣改修で、古い時代の石垣遺構が出たとかで、発掘も行われています。でも遠すぎて何にも見えまへん。 |