江戸城めぐり その1:内堀外周 |
都心のど真ん中に浮ぶ江戸城は、ご存知の通り皇居として、広く親しまれています。一部は「皇居東御苑」などとして、一般にも無料で公開されています。ここでは、まず広大な江戸城の内堀周辺、通称「内濠通り」周辺、約4kmを見てみましょう。意外と東京近郊在住の方でも、細かく見て回ったことの無い方も大炊のではないでしょうか(自分もその一人でした)。気づかなかったちょっとした遺構や美しい景色などが見つかるかもしれませんよ。一周歩けば運動不足の現代人の健康にもいい・・・かも? | |
この図の範囲が「特別城址・江戸城(皇居東御苑)」として普段から一般公開されている部分です。この他に北の丸が「北の丸公園」、屋敷跡が「皇居外苑」として公開されています。西ノ丸・皇居宮殿方面は参賀の日以外は入れません。 | |
西の丸正門、現在の皇居正門にあたる二重橋附近のおなじみの景色。二重橋はかつてこの奥の鉄橋が、二階建てのトラス構造の木橋であったことからそう愛称されるようになりました。 |
桜田門(外桜田門)の桝形。有名な「桜田門外の変」の舞台であります。今じゃ別な「桜田門」が門の外に聳えております。 |
外桜田門付近から凱旋堀、日比谷方面を見る。高層ビルと石垣のコントラストが不思議な空間です。加藤清正が普請に当たった、というのはどこらへんなのでしょうか? | 国会議事堂下付近から桜田堀と土塁。土塁の上にさらに石垣があります。江戸城は石垣の城と思われていますが、西ノ丸から半蔵門方面にかけては石垣とともに見事な土塁が残ります。むしろ、この土塁の見事さのほうが印象的ですらあります。堀の広さも圧倒。さすが徳川天下普請。 |
半蔵門付近から桜田堀、桜田門方面を見る。腰巻土居と鉢巻土居が組み合わされています。このあたりは普段見られる江戸城で一番美しい姿ではないでしょうか。 | 半蔵門の土橋。このあたりの土塁・土橋の高さ、見事さは絶品ですね。この先は紅葉山。立ち入り禁止区域です。 |
半蔵堀。半蔵門、半蔵堀の名は、この付近に屋敷を構えた服部半蔵に由来しています。 | 北門跡。竹橋門との間は道路になり、首都高の代官町ランプなどもあります。 |
乾門。櫓門形式ではありません。これは明治時代に西の丸裏門を移築して、皇居通用門として整備されたものです。 | 北桔橋(はねばし)門。奥に天守台が見えています。かつて太田道灌の時代には、大手門が開けていた、といわれます。徳川時代に桝形門となりましたが、渡櫓門が撤去され、現在の高麗門だけが残ります。 |
北桔橋門の前の木橋は桔橋になっていて、有事には滑車で跳ね上げられるように出来ていました。というより、常時跳ね上げ状態だったらしい。現在は橋は固定されていて跳ね上げることはできません。ちょっと見づらいですが、これが橋を引き上げる際の滑車部です。 |
北桔橋門付近の見事な高石垣。ここは本丸直下にあたり、もっとも防備の厳重な箇所。 |
同じく北桔橋門の高石垣。石垣の見事な江戸城にあっても、この附近は見ごたえ抜群です。 | 北桔橋門付近から平川堀。高石垣に屏風折れの横矢が連なっていて、非常に見ごたえがあります。 |
竹橋門跡。その名の通り竹で編んだ橋が掛かっていました。今では四車線の道路になっています。オリジナル竹橋門はこんなでした。 | 平川門。ここは大奥詰の女性専用の登城口だったとか。そばには死人や「阿呆払い」専用の不浄門もあります。桝形と、それに付随する木橋の雰囲気をよく残しています。 |
平川門前の「パレスサイドビル」は平日の12-13時に屋上が無料開放。上から眺める竹橋門〜北桔橋門。 |
おなじくパレスサイドビルから平川門。桝形がとてもよく分かります。 |
竹橋門と平川門は、幅の狭い石垣の「帯曲輪」で接続されていました。これも上から見ると、その様子がよくわかります。 |
平川門付近の歩道にある太田道灌追慕の碑。言うまでもなく道灌は、オリジナル江戸城の築城者です。この石は、地下鉄虎ノ門駅工事の際に出土したものだそうです。 |
平川門前、現在の丸紅本社敷地に立つ「新御三家」、一ツ橋徳川家屋敷跡の碑。 | 一ツ橋門の石垣。見事に見えるんですが、この石垣の背面は道路のために削りとられて、わずかにこの北側に面した部分が残っているのみです。 |
雉子橋門と、やはり堀として整備された日本橋川。「雉子橋でけんもほろろに叱られる」とは、番卒の厳しさと、雉の鳴き声をかけて詠まれたものだとか。 |
雉子橋門の一部でしょう、現在の住友商事本社の地下駐車場入り口附近にどっかり残る石垣。 |
薄氷の張る大手堀から平川門方面。空の色、堀の色、木々の色などによって、様々な表情が見られます。僕の中のイメージの「東京らしい景色」のひとつです。 | 同じく大手堀を大手町の高層ビル街方面。 |
同じく大手堀の石垣。ところどころに排水口や刻印などもあって、細かく石垣を見ていくと飽きません。 |
ビジネス街のまん前でその存在感をアピールし続ける大手門。空襲で渡櫓は焼失しましたが、昭和四十二(1967)年に再建されました。この門の警備は十万石以上の譜代が受け持つことになっていたそうです。 |
和田倉堀にかかる木橋と、こちらも由緒あるパレスホテルの遠景。 | 和田倉門の枡形。建物は失われましたが、桝形虎口の形状はよく残っています。 |
通称「内堀通り」に面した巽櫓(桜田二重櫓)から大手門方向を見る。現存櫓のうち、いつでもその姿が近くで見られる唯一のもの。 |
和田倉噴水公園前の交差点からは、巽櫓と遠く富士見櫓が重なって見えるスポットがあります。 |
「桔梗門」ともいわれる内桜田門。一説に、かつてこの門の瓦に、太田道灌の家紋の桔梗がついていたことから、このように呼ばれるようになった、とも。 |
桔梗堀の石垣。 |
桔梗堀から坂下門方面に歩く。途中に櫓台石垣なども見られます。ナニ櫓、という名前だったのかなあ。。。 |
普段は宮内庁関係者しか通れない坂下門。参賀の日には退出専用門のひとつとして開放されます。桝形は残っておらず、渡櫓門のみが残っています。 |
日比谷門周辺の石垣。かつて、日比谷附近には大きな入江があり、地盤が軟弱であったため工事は非常に難航したとか。 | 水鳥があそぶ日比谷堀。 |