平井城は、崖上に築かれた平時の城で、有事の際の詰め城としては南西に平井金山城(平井詰城)があります。いまでは静かな住宅と農地になっていますが、上杉氏の全盛時には往時の鎌倉にもひけを取らないほどの繁栄振りであったといいます。失礼ながら、現在の片田舎ぶりからは想像もつかない話です。
しかし上杉憲政、評判悪いですね〜。「酒色に溺れ云々」なんて、ダメ武人の決まり文句で罵られちゃうんですから。このオッサンが北条氏康に追われて越後まで逃げちゃったことで、我が御屋形様、長尾景虎様が泥沼の関東擾乱に巻き込まれるキッカケをつくってしまったわけです。おまけに嫡子を置き去りにしての逃亡ですし。憲政のオッサンがしっかりしていれば、もしかしたら景虎様は上杉なんて名乗ったり関東管領なんていう「腐った鯛」を食べたりしないで済んで、もしかしてひょっとして、信長なんて鎧袖一触で追い払って、京の都でたらふく美酒を呑めたかもしれないのに。まあ、この憲政オッサンがだらしなかったおかげで、我々は関東の歴史とお城を楽しむ(?)ことができるのではありますが。。。こんなだらしないオッサンに最後までお付き合いしたのが長野業政や太田三楽斎資正らの一徹者たち。彼らがいなければ、上杉氏はもっと早く滅亡していたかもしれません。
平井地区はすっかり住宅地、農地となってしまい、城の遺構といえるものはありません。わずかに公園として整備され、土塁等が復元されています。