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城下の八坂神社から登山道が伸びており、簡単な案内板があります。最初だけ急坂ですが、登り切ると意外になだらかな道が続きます。 |
尾根を登りきったあたりはすでに城域の中です。登山道脇に堀切14が見えます。 |
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八坂神社から主郭への尾根道は大手道でしょう。ここには比較的まとまった規模の曲輪が連続します。 |
八坂神社から主郭へ向う道にある「おせん清水」。おせんとは大和守景綱の娘、信綱未亡人で、のちに兼続の後妻となる人物です。 |
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主郭の前面に横たわる腰曲輪。木々の間から信濃川の川面がのぞいていました。主郭の法面は数年前の豪雨で崩れたらしいですが現在は修復されているようです。 |
城山稲荷神社が祀られる実城T(主郭)。兼続の「望むところのこと信の一字」の碑と、海音寺潮五郎の
「直江山城守旧城跡本丸」の碑があります。 |
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兼続が会津移封にあたり記念植樹した杉五本のうちの一本といわれる「城の一本杉」。落雷でも遭ったのか、幹が大きく裂けて倒れる寸前でしたが・・・・。 |
稲荷神社の背後には大きな土塁があります。 |
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土塁の背後には短い支尾根の付け根を断ち切る堀2があります。北側の尾根にも堀切が1条ありますが、あまり手は入れられていません。 |
簡易トイレが置かれているX曲輪。こちらの方向にも支尾根があり、堀切で先端附近を分断しています。 |
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実城から南西に続く尾根を断ち切る大堀切3。ここから先の尾根筋にはたくさんの堀切が見られますが、実城のものが最大規模です。 |
U曲輪は「二ノ丸」とされ、実城寄りに土塁があります。 |
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二郭と三郭を隔てる堀切4。規模は小さく深さは2mほど。この主尾根には堀切が沢山現れます。 |
V曲輪は尾根が3方向に分岐する防衛上の要所です。 |
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V曲輪南側の堀切5は規模が大きい。堀底を通って東の支尾根へと向かう通路も兼ねているようです。 |
堀5を通って東側の支尾根に向かうと山腹に畝状阻塞らしきものが。この城にもあったか! |
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この支尾根はさらに尾根が分岐していて地形が複雑です。写真は堀8。 |
さらに堀9。支尾根が連続し、その都度付け根を断ち切っています。が、防御上は効率の悪そうな場所です。 |
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主尾根上の堀6。この尾根筋には大小さまざまな堀切が連続して現れ、中世山城ファンを喜ばせてくれます。 |
千人溜と城域中核部の間の鞍部は「大堀」の地名がありますが基本的に自然地形です。ただし池があったのでは、と思われる地形も見られます。 |
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千人溜と呼ばれる広い平場。城郭遺構ではないという説(「日本城郭大系」)もありますが、戦時の領民の避難場所だったという説(「図説中世の越後」)もあります。 |
千人溜は窪地状の地形になっており、両側から抱え込むように伸びる尾根が天然の土塁として機能しています。 |
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千人溜背後の林道を400mほど進んだ場所に「のろし山」があります。遺構は期待していませんでしたが・・・。 |
一応小規模な堀切、削平地、切岸地形などがあり、案外「のろし山」というのも本当ではないかと思えます。 |