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坂井川南岸より見る加地城とその周辺。加地城(要害山)はお椀を伏せたような、典型的な中世山城の形をしているので、遠目でもすぐわかると思います。坂井川は現在は加治川支流となっていますが、かつては要害山直下を流れ、塩津潟に注いでいました。 |

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要害山の麓の田はかつての坂井川旧河道。いまでもまるで深い沼田のように見えます。正面の墓地がある微高台地が居館とされています。 |
藤戸神社参道入り口に簡単な解説があります。右手の林道は車両通行禁止。見学は林道よりも参道の階段を登ってしまった方が楽です。この神社自体、館城として城域に取り込まれていたと考えています。
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藤戸神社右手の植林地に建つ石塔。結構大きいので加地城の目印の一つになります。「古城の月高楼の夢加治要害山」と刻まれています。
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「学びの道」を少し歩くと鞍部の連続堀切、堀切1・2に出ます。「学びの道」によって若干改変されています。
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西側の峰の見学路沿い多く見られる腰曲輪。斜面が急なので大きなものはあまりありません。 |
わかりにくい写真で恐縮ですが竪堀(堀6)です。この附近にも堀切や段曲輪などの遺構が沢山あります。 |
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西峰の塁壁、どうも連続竪堀に見えるんですが、山腹の崩落が激しく判然としません。 |
西峰の最頂部となるⅥ曲輪、加地城全体の「前要害」の中核部に当たります。大堀切3に面して、櫓台状の土壇があります。 |

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藤戸神社の峰と要害山を断ち切る巨大な堀切3。藪化していますが、底幅10m以上の大きなものです。 |
大堀切3をまたぐ細い土橋。この大堀切は多分に天然の地形を活用したものでしょう。 |
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大堀切3から、加地城の主峰に取り付く虎口。「学びの道」によって若干改変されていますが、向かって左手の堀底状の通路が本来の道。堀に面して小規模な枡形状のスペースがあります。 |
主郭の一段下、西側から北側にかけて広がるⅡ曲輪。 |

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主郭虎口を上から見下ろす。切通し虎口に狭い外枡形を伴なっています。 |
標高165mの主郭からは、加地荘全体を見渡すことができます。ここからは三方に尾根が伸びており、それぞれに堀切や曲輪が見られます。 |

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山頂から、田植えの頃の新発田市方面を見る。田んぼの水がかつての広大な低湿地を髣髴とさせるではありませんか。新発田城は完全な平城で、詰の要害は持ちません。いざというときにはこの加地城の存在が心強かったに違いありません。 |

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東南に伸びる尾根上の堀切8。ここから先は麓まで急な尾根道となります。
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北に延びる尾根にも延々と城郭遺構が続きます。これは堀切9。
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尾根上に細長く延びるⅢ曲輪。この先の尾根はアップダウンを繰り返しながら、櫛形山脈方面に伸びています。 |
堀切10の西側の谷戸には湧き水が出ています。水の手として機能したでしょう。 |

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突角陣地であるⅤ曲輪の北の堀切11、北側の堀切で最大です。 |
北側の尾根が最も低くなる鞍部の堀切12、実質的にここまでを城域と見ていいでしょう。 |