越後最北の湊を護る

大川城

おおかわじょう Ookawa-Jo

別名:藤懸館

新潟県岩船郡山北町府屋

 

城の種別 平山城

築城時期

不明(南北朝時代?)

築城者

大川氏

主要城主

大川氏

遺構

曲輪、土塁、空堀、堀切

大川越しに見る大川城<<2003年05月02日>>

歴史

築城時期は定かではない。城主の大川氏は南北朝時代に大川彦次郎の名が見られ、北朝方に属して小泉氏、立島氏らと行動を伴にしている。大川氏は戦国時代には本庄城主・本庄繁長の傘下に入り、本庄氏の出羽庄内侵攻の際には道案内役を務めた。また大川駿河守忠秀は永禄四(1561)年の第四次川中島合戦で討ち死にしている。

永禄十一(1568)年、本庄繁長が武田信玄の調略に応じ本庄城で上杉謙信に対して挙兵すると、城主・大川長秀の弟が本庄繁長に呼応し藤懸館(大川城)を奪われた。長秀は謙信の命で奪還を図るが成功せず、翌永禄十二(1569)年、本庄繁長の降伏で大川城も開城し、長秀は帰城したという。慶長三(1598)年、上杉景勝の会津移封に伴い廃城。

越後平野北部を南北に走る大動脈、国道七号線を北上すると、道は葡萄峠越えの山道に入ります。トンネルや谷あいの道を抜けると、そこには突然、荒々しい日本海の海原が拡がります。この山と海の接点に拡がるわずかな平地、大川の河口付近が越後最北の商業港、府屋の街です。現在は海沿いにも国道345号が通り、巨岩奇岩が天を突く名勝「笹川流れ」からは、日本海に浮かぶ粟島や佐渡島、夕暮れの刻限には日本海に沈む美しい夕陽を眺めることができます。この港町を見下ろす小丘陵に大川城はありました。

ここは春日山城のあった越後府中、今の上越市からはおよそ200km、もはや目と鼻の先は出羽国、よくもまあこんな遠くまで上杉の支配が届いたものだという気はします。越後っていう国は本当にデカイなあ。。。城主の大川氏は本庄城(のちの村上城)主、本庄繁長の配下として羽越国境の警備や、本庄繁長の出羽進攻にも従軍しています。あの第四次川中島合戦では、大川駿河守忠秀は海津城への抑えに従軍し、大川城から遥か離れた川中島の地に散ったといいます。多分、遠すぎて自分にはほとんど関係しなかったであろう信濃の地をめぐる争いで命を落とした大川駿河守。彼はその死をどう受け止めていたのか・・・。

大川城はこの地方としては大きい大川の流れに面した段丘上に館があり、その館の背後を包み込むように二つの小丘陵が控えています。この小丘陵「古館山」が「要害」にあたるのでしょうが、館と要害が一体化し、間の谷津をも取り込んだ、旧い小領主の館の形態をよく残しています。館の先端部分には明瞭な堀跡が見られ、また後方の古館山との間には豊富な湧水による堀状の地形が見られます。古館山には二つのほぼ同標高の大きな曲輪があり、海に面した方の曲輪には高さ3mほどの土塁があり、ここが主郭であったと思われます。この主郭の背後には大きな堀切があり、堀の先は天然地形を用いた深い竪堀となって山麓に達します。背後の曲輪には土塁と、櫓台のような土盛があります。この二つの曲輪を中心に、腰曲輪や帯曲輪が取り巻いていて、規模こそ大きくはないものの整った遺構が見られます。ただ、基本的にまったく整備されておらず、館跡も含めてかなりの藪になっているため、館先端の堀を除き、遺構の見学には適していません。そう思って冬に行ったときには積雪で遺構がイマイチよくわからず、出直した5月にはもうかなりの藪・・・。尾根続きには詰めの山城である高館山の要害などもあるらしいのですが、ちと見学は厳しい状況だったのでパスしました。まずまずの遺構保存度を保っているだけに、なんとか史跡指定と見学路設置を望みます。

大川の河原から見上げた大川城。標高55mほどの緩やかな丘ですが、大川に面した側はかなりの急斜面です。

古館山の全面に広がる段丘上が館の跡。しかし、藪というか、相当な荒地です。

館の西側の堀跡は農地になっていますが、このお城でほとんど唯一、藪に埋まっていない遺構です。 同じく館西側の堀。

館と古館山の境目は堀なのか休耕田なのか、とにかく湿地です。うっかり歩くとズブズブいってしまいます。このお城は長靴でないとちと厳しいかも。

狭い谷津の中に何らかの祠があるのですが、ろくな参道もなく、地元の人がどうやってここまで来ているのか不思議です。

谷津の内部は桟敷段状の数段の削平地が見られますが、この写真じゃなんだか。。。

わずかに残る獣道(イバラだらけで痛いっス)を藪コギしてたどり着いた主郭。って言ってもこの有様。ジャングルですな。。。

主郭の西側、南側には規模の大きい土塁があります。

木々の合間から覗く大川河口と府屋の港附近。大川氏はこの港を支配する在地土豪でした。水軍は持ってなかったのかな?

主郭と二郭を断ち切る大堀切は見所のひとつですが、あまりに藪化していたので冬の写真で。 同じく大堀切を二郭側から。お城の規模の大きさと釣り合わない規模。おそらく、自然地形を利用したものなのでしょう。

二郭には低い土塁や、櫓台なのかどうか不明な土盛りなどがあります。

二郭背後の一段低い曲輪。「日本城郭大系」では二重堀があるように描かれていますが、気のせい程度の窪みが確認できる程度です。

遺構の写真がイマイチなのでおまけ。景勝地・笹川流れの夕暮れ。大晦日、2002年12月31日、この年最後の夕陽の景色です。 彼方に横たわるのは佐渡ではなくて粟島です。大晦日の夕方に何やってんだろ俺・・・。ちなみに粟島は平林城主の色部氏領です。

 

交通アクセス

日本海東北道「中条」IC車80分。

JR羽越本線「府屋」駅徒歩15分。

周辺地情報 村上城をぜひ。東側には本庄城時代の遺構もあります。
関連サイト  

 

参考文献 「図説中世の越後」(大家健/野島出版)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、「上杉謙信と春日山城」(花ヶ前盛明/新人物往来社)
参考サイト  

埋もれた古城 表紙 上へ