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南西から見る白鳥要害(左)と鳥坂山頂(中央)。写真手前の20m前後の段丘は堅固な館城である羽黒館です。 |
羽黒館の裏手の台地上から見る白鳥要害。この手前の山林が東館です。 |
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メインのアプローチルートである宮の入コースの入口。この附近が東館ですが、耕地整理や深いヤブによって全容はまるでわかりません・・・。 |
これが本城最大の特徴である「段切り」。見て分かりますか?斜面を犬走り状に最大30段も削平しているそうです。殆どの部分は植林されていて、見ても分からないようになってしまっているのが残念。 |
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宮の入コースを歩くこと約30分、三郭、というより大手曲輪にあたる削平地が現れます。 |
さらに一段高く二郭へ。削平されているのはわかりますが、それ以外の遺構ははっきりしません。 |
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白鳥山頂、標高298mの主郭。「奥山荘城館遺跡」の石碑と簡単な看板があります。畝状阻塞もあるとのことですが、塁壁は笹薮に覆われて全く分かりません。 |
主郭に建つ展望台。山麓からも目立つのでこの山の目印になるでしょう。 |
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山頂より眺める秋の奥山荘。中条町の市街地中心部近くには初期の居館、江上館があります。春の田植えシーズンには、かつての塩津潟の姿が髣髴とされます。 |
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主郭の北東尾根続きを断ち切る「一の堀」。普通こういうのは主郭の傍が一番大きいものですが、ここでの堀切は実に小規模なものです。 |
この尾根には堀切が五つ、次々と現われます。「二の堀」は「一の堀」と規模的にはほぼ同じ。 |
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次は「三の堀」。堀切と堀切の間には一応尾根上の曲輪がありますが、削平も甘く、居住性は低いようです。 |
ちょっと規模が大きい「四の堀」。簡単な解説板も設置されています。 |
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四の堀の北端は岩場となり、自然地形なのか人工的なものなのか、虎口状の岩が堀を狭めています。 |
左の岩場の下には竪堀が。というより、北麓の「猫山」方面との連絡を取るための間道ではないかと思いました。 |
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自然地形を活用した「五の堀」は「大堀切」という言葉が相応しい大きさ。冬枯れのシーズンには山麓からでもよく見えます。 |
五の堀附近で出くわした「ヤマドリ」。父によると、絶滅危惧種のひとつだそうで、なかなか近くでお目にかかることは少ないそうです。 |
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「追分コース」の中腹にある岩倉は、城氏の時代の食料庫と考えられているそうです。が、ほんとのところはどうなんでしょう? |
追分コースには沢を利用したと見られる竪堀状地形がいくつか見られます。四の堀から連結しているかも? |
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「猫山」附近は中条町の簡易上水道施設跡地を利用した公園などになっています。地名から考えて「根古屋」があったと推定していますが、地形の改変が甚だしく判断できませんでした。 |
羽黒集落の「羽黒三社」あたりが羽黒館の中心部です。この羽黒館、改変はあるものの一目見てその堅固な館城ぶりを感じ取ることができます。 |
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羽黒三社の敷地内に点在する土塁。神社建立によるものではないと思います。 |
羽黒三社裏手の堀切。これは明瞭です。鳥坂城まで来たらぜひここも押えておいて欲しいところです。 |
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羽黒館も改変が激しいので遺構は明瞭ではありません。これは虎口附近の堀かな? |
羽黒三社と徳岩寺の間の道路は、天然の沢を利用した堀切でしょう。写真は沢の上手に残る泥田堀の痕跡。 |
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羽黒三社となりの徳岩寺はもともと中条氏の菩提寺であったようですが、墓石等はないようでした。 |
徳岩寺裏手の土塁の痕跡。この羽黒館から東館にかけて、山麓線に土塁が続いていたらしいのですが、現状ではわかりづらくなってしまいました。 |