「新発田の乱」鎮圧の本陣か?

菅谷城

すがたにじょう Sugatani-Jo

別名:

新潟県新発田市菅谷〜

北蒲原郡加治川村箱岩

 

城の種別

山城

築城時期

不明

築城者

不明

主要城主

不明

遺構

曲輪、堀切、竪堀、畝状阻塞、土塁

西尾根の連続阻塞<<2004年03月21日>>

歴史

歴史的には一切不明。『新発田市史』においては、中世前期に創建された菅谷寺が自衛手段として構築した寺院城郭に端を発する可能性、承久三(1221)年の酒匂家賢らの願文山城籠城との関連などを指摘し、その後「新発田合戦前後の上杉氏による戦略上の必要からくる大がかりな修築によるものと思われる」としている。

新発田市の北部、加治川村や黒川村とも隣接する菅谷地区は、「日本一小さい山脈」櫛形山脈の東に位置し、現在では「大動脈」国道7号線から見ると裏手にあたりますが、かつては揚北を南北に貫く主要幹線、現在の国道290号に面した街道の街でした。この菅谷地区と、西側の塩津潟を望む箱岩地区との間に、「箱岩峠」という小規模な峠がありますが、この峠の北方1kmほどの尾根上に、奇妙なほどの技巧をもつ山城があります。

この菅谷城は城主・来歴は一切不明、「新発田市史」によれば、菅谷地区の名刹、菅谷不動尊に関連した施設、あるいは「承久の変」のさきがけとなった酒匂家賢の願文山城籠城戦との関係、さらには新発田重家の乱との関連などの可能性を指摘しています。いずれも史料は皆無なので、推測の域を出ませんが、ソレガシもシロウトはシロウトなりに、遺構面からの観察を試みたいと思います。

主郭は標高276mの「古城山」山頂附近を削平したもので、三方向に尾根が伸びており、そのいずれもが二重、三重の堀切で厳重に防御されています。尾根を切断する堀切はとくに目立って規模が大きいわけではありませんが、いずれも念入りに堀切られています。主尾根にあたる南北の尾根には二郭、三郭に相当する曲輪が並び、腰曲輪・帯曲輪や、このお城の遺構面の特徴である「連続畝状阻塞」などが見られます。全体的な印象として、非常に高度かつ厳重な防御遺構が構築されている割には、山麓との連絡があまり考慮されておらず、いわゆる「根古屋式山城」ではなく、山城が単独で存在する「山岳城塞」の形態に近いように感じました。また、堀切・竪堀などが念入りな割には、虎口などには明瞭なものは無く、堀切の入れ方にも急造らしい部分を多分に感じます。箱岩峠の交通監視との関連も考えられますが、峠の真上からは少し離れており、箱岩峠の監視としては(木々がなかったとしても)視界もあまりよくありません。

これらの特徴とよく似たお城に、大葉沢城があります。また、「新発田市史」では、関川村の下土沢城との類似が指摘されています。ソレガシは下土沢城には行っていないのでそちらはよくわかりませんが、そちらは位置的に考えると黒川城主・黒川氏の庶流の土沢氏、あるいは平林城主の色部氏の属城とみていいでしょう。大葉沢城は色部氏と同族にあたる鮎川氏の本城ですが、一在地土豪が構築したとは思えぬほどの技巧と規模を誇ります。ソレガシはその起源を、「本庄繁長の乱」と関係するとかつて推測しました。で、この菅谷城ですが、やはり色部系の匂いを濃厚に感じてしまうのです。あるいは、こちらも未踏査ですが、黒川氏の関連城郭であり、色部領と隣接する持倉城とも似ています。

県北、荒川以北の領主である色部氏一族(本庄、鮎川などの諸氏含む)がこの新発田周辺に軍事的色彩の濃い山城を築く、それはもう「新発田重家の乱」しか考えられないでしょう。「御館の乱」の可能性も無くはないですが、こちらは城造り合戦はあまりなかったようで、期間が短かったこと、揚北においては鳥坂城黒川城の攻防という、在地領主の紛争レベルの戦いが中心だったことから、この菅谷城のような高度な山城が構築された可能性は低いのではないかと思います。

実際、色部長真、本庄繁長は、築地資豊などとともに新発田の乱鎮定のための揚北諸将の中心的な役割を担わされており、七年にもわたった新発田の乱に対抗するためには、本陣となる山城も必要であったでしょう。遺構面ではある一定の期間、改修を施されて使用されたことが想像されます。しかもそれはこの乱の鎮定に要した、限られた期間しか使われなかったのでしょう。従って、拠点的な城郭としての性格は持ち合わせておらず、山麓の根古屋地区との関連性も薄いものと考えられます。これは城主に関する何の記録も伝承もないところがそれを裏付けている気がします。新発田重家の最期は諸説ありますが、時を悟った重家は縁戚にあたる色部長真の陣に駆け込み、「親戚の誼をもって我が首級を与えるぞ!」と叫び、腹切って果てた、ともいうことですので、この菅谷城周辺でドラマチックな場面が展開されていたかもしれません。

ちなみに前述の「連続畝状阻塞」ですが、主尾根の南側に面したメインの畝は、大葉沢城あたりの超見事な遺構と比べると実はあまり大したことがなく、草木に覆われていたこともあり遺構は明瞭ではありませんでした。しかし、最もスゴかったのが主郭の西に派生する支尾根のもので、こちらは竪堀を伴う小規模な堀切三条と数m離れてやや大きめの堀切一条が連続した「四重堀切+竪堀」になっており、ある意味でこれも連続畝状阻塞の一種とみていいでしょう。というより、堀切はほとんどすべて連続で構築されており、多くの腰曲輪でも意図的と見られる地表面の凹凸があるのです。つまり、「全山ウネウネ」に近い状態だったことが推測されます。

なかなかスゴイ山城なので、機会があったら皆さんにもぜひ訪れて欲しいところです。ただし、ヤブレンジャーしなくちゃいけないのは必至ですけどね。

菅谷城の位置づけについて考察してみました。こちらもご覧下さい。

菅谷城平面図(左)、鳥瞰図(右) ※クリックすると拡大します。

東側の菅谷集落側から見た菅谷城周辺。箱岩峠を挟んで、鳥屋峰城と並んで立地します。さらに南には加地佐々木氏の本拠、加地城があり、平野部には新発田城があります。菅谷城は「古城山」と呼ばれ、大峰山への登山道の途上にありますが、ちょっと道をそれる必要があります。

標高130mあまりの小さな峠、箱岩峠。櫛形山脈の東西を繋ぐ、重要な道です。

峠の頂からは本来林道があり、車で入れるのですが、不法投棄が絶えないとの事で車両通行止め・・・。10分ほど砂利道を登ると、大峰山へと向かう分岐がありますので、こちらに入りましょう。

尾根上のハイキングコースを歩くと、堀1があります。ここは堀というよりも、尾根の両側を削り落として土橋状の細尾根を作り出しています。 堀2も堀1と同じく、尾根を狭めるのが目的でしょう。
さらに10分ほど登ると見晴らしの良い尾根に出ます。堀1、2の存在や周辺の段々から見て、曲輪の一部(X曲輪)でしょう。ここからは霞んでますが、弥彦山や佐渡島、粟島などが良く見えました。セルフ撮影で一服するワシ(馬鹿) さらに大峰山方向に向かうと堀3が。すごく小規模ですが、一応一騎駆け状に狭められております。ここから一気に急坂となります。
そのまま道を歩くと菅谷城の尾根の下を通り過ぎてしまいます。適当なところでヤブに突入、三重の堀切4,5,6に到着。しかし、「新発田市史」掲載の縄張り図は少々大袈裟だなあ・・・。ここは堀というより、畝状阻塞の一種かもしれない。 三郭にあたる三段積み曲輪の下に位置する畝状阻塞。一応このお城を代表する遺構なのですが、ヤブが邪魔でなかなかいい写真が撮れない。。。辛うじて畝がわかりますかね?実はこの遺構、規模は大したことがないです(ポインタを当てるとケバが出ます)。

U曲輪南端の堀切7。といっても、西側に行くに従って曖昧になる・・・。ほんと、施工レベルは低いよなあ。。。。

堀切7の土橋上から見る、東へ続く竪堀。残雪のおかげではっきり見えますね!

主郭南端の大堀切8。大堀切って言っても深さは4mくらいなもんですが。 主郭の南側には50cmほどの高さの土塁による食い違い虎口がありますが、この土塁じゃ子供でも超えちゃうよ・・・。
主郭、本丸です。っていってもコレじゃあなあ・・・。一部土塁も見られますが、削平は結構甘いです。 ある意味最大の見所となる主郭西側支尾根の堀切9。石積みを伴う三重の堀切&竪堀は「連珠塞」というに相応しい。(ポインタを当てるとケバが出ます)。
右上写真の連珠塞のさらに5mほど下には堀切10、さらに堀切11があり、実質四〜五重堀切になっていました。このお城は個々の規模はともかく、連続堀切がスゴイです。 西尾根最先端の堀切12。ここから先は急激な下りとなるので、一応ここまでが城域の西端と考えていいでしょう。
さらに主郭北尾根の堀切14。ここも掘り下げ方はたいしたことがないですが、主郭との比高差があるためかなり大きく見えます。ここも二重堀です。 さらに北尾根の堀切15。しかしここは堀切と言っていいのかどうか・・・。
堀切17より先は再び登りとなります。ここが一応の北端と考えてよさそうです。 西麓の名刹、菅谷寺。この近辺には湮滅した菅谷館もあり、山城との関係が気になるところです。
箱岩峠からの林道ゲート脇の小高い山が七曲城、おそらく菅谷城の出丸でしょう。 七曲城は堀切が一条ある他はまともな削平地すらない。きわめて簡素な、峠の監視のみの砦と考えていいでしょう。

 

交通アクセス

日本海東北道「聖篭新発田」ICまたは「中条」IC車20分。

JR羽越本線「加治」駅徒歩60分。

周辺地情報 箱岩峠の南に対峙する鳥屋ノ峰城、西側山麓の大天城、櫛形山脈南端の加地城など。御三階櫓復元中の新発田城も必見。
関連サイト  

 

参考文献

「新発田市史」(新発田市)

「日本城郭大系」(新人物往来社)

「菖蒲城物語」(角田夏夫/北方文化博物館)

参考サイト  

埋もれた古城 表紙 上へ 菅谷城の考察