新潟ウォーターフロント戦争最前線

 

木場城

きばじょう Kiba-Jo

別名:

新潟県新潟市木場

(旧黒埼町木場、宮のもり木場城公園)

 

城の種別 平城

築城時期

天正五(1577)年

築城者

山吉氏

主要城主

山吉氏、菱沼(蓼沼)氏

遺構

なし

宮のもり木場城公園<<2003年05月05日>>

歴史

永禄四(1561)年、後の庄屋・山際家の先祖が信州から十六人の仲間とともに入植したのがはじまりという。

山吉氏は守護代長尾氏の蒲原郡代として三条城代を歴任したが、天正五(1577)年六月、山吉豊守が没し、嗣子が無かったため三条城を召し上げられ、弟の景長は所領を半減されて木場に移った。

天正六(1578)年三月、上杉謙信は春日山城内で卒中のため倒れ、三月十三日に死去した。この跡継ぎをめぐって上杉景勝と上杉景虎が対立し、越後諸将も二手に別れて内戦となった(御館の乱)。天正九(1581)年、新発田城主・新発田因幡守重家、五十公野城主・五十公野道如斎が御館の乱での恩賞を不満として上杉景勝に対して挙兵(新発田重家の乱)、その際に、竹俣壱岐守の利権地であった新潟津を占拠するため、重家は新潟城、沼垂城を取り立て、新発田城の糧道と港湾の利権を確保した。これに対して景勝は、天正十(1582)年二月、菱沼(蓼沼)藤七友重、山吉玄蕃允景長らを木場城に派遣して、新潟城と新発田勢の動向を監視した。景勝は木場城の菱沼、山吉らと笹岡城の今井らに新発田城を攻撃させようとしたが、重家は反撃に出て笹岡城に迫り、大室において激戦となった。

天正十(1582)年四月、新発田重家は兵を水原城、笹岡城などに進めたが木場城将の菱沼友重、富所定重らが防戦、重家は会津の芦名盛隆に援兵を求めた。

天正十一(1583)年二月八日、新潟城将の新発田刑部は木場城を攻め、三月には重家が再び木場城を攻めた。木場城将の菱沼、山吉らも新潟城を攻めたが戦果はなかった。四月には景勝自らが出陣して新潟城を攻めたが落ちなかった。

天正十三(1585)年十一月二十日、新潟城は陥落、新発田城はこの後、天正十五(1587)年十月二十五日夜半の上杉軍の一斉攻撃で落城、新発田重家は自刃した。

木場城は新発田重家滅亡後も新潟津を監視するための番城として使われた。また、近世に堀氏が越後に入封した際に、堀玄蕃が館を置いたともいわれる。

新発田重家の乱」に際して、重家の本拠である新発田城攻防と並んで繰り広げられたもうひとつの重要戦線、新潟津をめぐる争奪戦、その上杉方最前線基地となったのがこの木場城です。

城将の山吉氏、菱沼(蓼沼)氏らは、折を見て再三新潟城を攻撃しますが、大河に浮かぶ新潟城はなかなか手ごわかったようで、なかなか落とせませんでした。逆に新発田勢も木場城を再三攻撃するのですが、この木場城周辺もかつては信濃川水系の中ノ口川とその周囲に広がる大潟・田潟・鎧潟などの大湖沼地帯に囲まれていて、新発田勢も結局は落とせなかったようです。

木場集落は古い集落の原型を留めていて、細い道がクネクネ走っています。が、行けども行けども、目指す八幡社が見えてきません。やっと通りかかったおっちゃんに道を聞いたところ、なんと上越新幹線と関越自動車道に挟まれた、狭い場所にあるという。で、行ってみてビックリ、なんと「宮のもり 木場城公園」としてすっかり小奇麗な公園になっていました。もともと、湖沼地帯、氾濫原の超低地の自然堤防上につくられたお城だったので、遺構はほとんど水に流されてしまったのでしょう。もはや名のみが残るだけですが、遺構は全く無くても、こうして「木場城」の名前が後世に残ることは、ちょっと嬉しかったりします。

なーんにもないと思ったら、ナント「宮のもり木場城公園」になっていました。遺構が無くても、こうして「木場城」の名前が残ってくれただけでも嬉しいことではないですか!

木場城公園内の天守(?) これくらいの茶目っ気ならば許せますね。

八幡社境内地が木場城の主郭と推定されています。主意に比べて、心持ち高い場所にあります。

八幡社周囲の土塁?というか、自然堤防の名残みたいなもんでしょうか?

八幡社脇にも低い土居のようなものがありますが、防御遺構って感じじゃないですなぁ。

公園内の小高い築山に築かれている物見台、公園の案内図によれば「とりで」(爆)なのだそうである。この公園、なんともいい味出してます(^^;)

「とりで」から八幡社境内地を見る。周囲より1m強高い場所にあるのですが、写真じゃ全然わからないですね。。。 「とりで」からの景色。関越道と新幹線にすっかり挟まれてしまっています。かつては中ノ口川や大潟・田潟・鎧潟などの大湖沼地帯が広がっていました。

 

交通アクセス

北陸自動車道「新潟西」IC車15分。

JR越後線「内野」駅よりバス(?)。

周辺地情報 近くにこれといったお城が・・・。ちょっと離れてますが、弥彦村の黒滝城あたりはどうでしょうか。
関連サイト 新発田重家の乱」の頁もご覧下さい。

 

参考文献 「菖蒲城物語」(角田夏夫/北方文化博物館)、「図説中世の越後」(大家健/野島出版)
参考サイト  

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