初めての見学は下調べナシで訪問して散々迷った挙句、やっとのことで見つけた遺構も猛烈なブッシュとスズメバチで敢え無く見学断念(おまけに猛暑)。二回目は準備も万端、それに冬だしブッシュも大丈夫だろう、ということで期待に胸を膨らませて行きました。
一言で言うならこれぞ中世城郭!という言葉に尽きます。牛久沼に面した複雑な地形の台地の上に張り巡らされた深くて幅のある空堀、細い土橋、高い土塁、まさに中世城郭の典型的な姿です。雰囲気的には、本佐倉城とかと似ています。北条系の築城技術も見られ、技法的にも注目すべき点の多いお城です。
しかも、道に迷ってふと見た先に空堀を発見、地元のお婆さんに道を聞いたときにその空堀が城主の登城路であったことが判明。前回訪問した際も、「大手門跡」の碑の近くに明らかに空堀と思われる箇所を見つけたのですが、これでほぼ間違いなく、牛久城に惣構えがあったことを確信。本城部の遺構も壮大なのですが、実はとてつもなく大きな城であったことを実感しました。
それにしても場所はわかりにくい。「河童の碑」はあちこちに道しるべがあるのに牛久城に関するものは前述の「大手門跡」の碑以外何もナシ。どこに城があってもおかしくない地形なので推測で走り回ってもまず見つからないでしょう。ここは地元の人(なるべく年配の人が・・・)に聞くのが一番でしょう。
遺構の残存状態は抜群に良いのですが、整備は全くされていなくて、ブッシュと、足の踏み場も無いほどの竹薮、倒木に覆われています。これほどの規模と保存状態の城が、なぜ史跡指定も受けず荒れるに任せられているのか、理解に苦しみます。整備もされていないから、当然道標もナシ。河童の碑もいいけれど、この牛久城だって負けないくらいの価値があると思うんだけどねえ。少なくても、竹薮の伐採はやってほしいですね。このままじゃ、土塁も堀も、竹に侵食されて崩れていくばかりですよ・・・・。
【外郭探索:2003年04月13日】
この日、準地元のエキスパートである五郎さん、「北総の秘めたる遺跡」の岡田さんと外郭部を歩きました。外郭に断片的な遺構があることは前回まででよくわかりましたが、五郎さんがその外郭遺構を地形図の上に落とした資料を下さいました。それに沿って城中の台地ほぼ全体を歩き、素晴らしい遺構の数々を目にすることができました。五郎さん、ありがとうございました。
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