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北条のハイテク築城術をふんだんに盛り込んだ逆井城。復元された建物とのマッチングも素晴らしく、さながら「不沈戦艦」のようであります。 |
西ニノ曲輪・大手付近の入り江(舟入)。飯沼へ舟を出す際の港の跡です。中央に見える犬走り状のものは舟の乗降や荷物の積み下ろしに使われるものでしょう。 |
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大手門にあたる西二ノ曲輪の木橋と望楼(どちらも模擬)。木橋は筋交になっています。櫓は初期望楼型の面影を伝える二層櫓。いわゆる「天守」の原型ですね。中にも入れます。 |
この塀の破れ加減がまたリアルです(笑) |
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西二ノ曲輪の模擬井楼と土塀。模擬ながら非常に時代感を感じさせる本格的なもの。実はこのサイトのリンクバナーはこの写真を加工したモノです。 |
やはり目立つ井楼櫓。実際に城内にこのような櫓があったかどうかは疑問ですが、雰囲気はよく出ています。 |
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井楼の上から見るかつての飯沼。鬼怒川の旧河道だった飯沼は江戸時代の干拓で姿を消しました。対岸はもう宿敵・多賀谷氏の領土です。 |
関宿城下に移築されていた関宿城薬医門を移築したもの。西二ノ曲輪はこうした建築物の野外博物館になっています。朱塗りの門扉が格調の高さを表わしています。 |
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戦国期の本丸殿社を模した御殿と枯山水の庭園。この御殿は湮滅した堀之内大台城の発掘調査結果をもとに復元されたものです。 |
模擬御殿の内部は二部屋に分かれていました。ちょっと床の間の位置が変かなあ? |
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古河城の書院礎石を復元したもの。西二ノ曲輪はこうした各地の城郭遺物、復元建築が並ぶ、「城郭野外博物館」のようです。 |
天正十六(1588)年建立の棟札が残る観音堂。これも移築建造物です。 |
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北条氏に滅ぼされたと伝えられる逆井氏の古城跡の一部。といっても狭い曲輪と浅い空堀のみで、古城跡というより単なる枡形虎口に見えてしまう。 |
落城時に智姫が釣鐘を被って入水したと伝えられる鐘掘り池。「智姫」の名は公園内のレストハウス(蕎麦屋)の名前にもなっています。蕎麦も美味しいですよ! |

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一ノ曲輪の模擬櫓門と木橋。木橋は礎石などの遺構を元に再現し、橋、櫓門とも遺構保存のため実際の位置より少しズラして再建されているそうです。良心的ですな!櫓門周囲の土塁も見事です。 |
木橋を堀底から。堀は幅も深さも非常に大きく、強烈な横矢もかかっています。しかし、薮蚊の攻撃も強烈です。。。 |
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本丸にあたる一ノ曲輪周辺の空堀。きちんと横矢が掛かっております。ここらへんはいかにも北条サンが大改修しましたっていう感じ。 |
雑木林の一ノ曲輪。城山大権現が祀られています。 |
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東二ノ曲輪は広大な芝生公園に。出撃・駐屯の際の拠点として整備されたらしく、非常に広い曲輪です。 |
三ノ曲輪から外郭まではほとんどが畑になっています。公園正面からでは気づきにくいですが、もう一基の井楼櫓があります。 |
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東ニノ曲輪付近に残る土塁と空堀。この付近の空堀は3mほど埋もれているそうです。寄せ手に対して側面から迎撃する「横矢掛り」の様子が確認できます。 |
北条氏得意の「比高二重土塁」が鮮明に見られる東二ノ曲輪周辺の堀と土塁。 |
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主郭の下から見る西仁連川は、江戸時代の飯沼干拓にあたり悪水落としのために開削された人工の川。「飯沼干拓」事業というのも調べてみるとなかなか面白い。 |
外郭の八幡神社は「地黄八幡」北条綱成、氏繁が勧進したという。玉縄北条氏と逆井城のつながりを感じさせてくれます。 |
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八幡神社周辺の湿地帯。八幡神社周辺も外郭または出城の一部だったのでしょう。 |
鮮やかな朱の山門が印象的な逆井常繁の菩提寺、常繁寺。墓石も探してみたのですが、わかりませんでした。 |
整備も行き届いており、非常に素晴らしい城郭です。北条氏のハイテク築城術を味わえる城としてオススメします。なにより、いたずらに派手さに走らず、遺構の保存と模擬ながらも時代考証を重ねた城郭建築物のバランスが非常に素晴らしく、イメージだけでは捕らえづらい「中世城郭」というものの姿を垣間見せてくれていると思います。 |