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旧有ヶ池の低湿地から見る額田城。左手のこんもり突き出た部分がW曲輪で、右手のちょっと高い部分が主郭になります。 |
まずはなんといっても主郭の周りの堀1に圧倒されます。堀底は湧水で泥田堀と化しており、とても歩けません。 |
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見晴らせないほど広い主郭。北側には低い土塁が連なっています。 |
主郭の西側は堀に向かって櫓台のように突き出しており、大きな横矢が見られます。 |
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主郭から見下ろす南側の堀。向こう側の捨曲輪では、額田照通が伊達政宗に援軍を求める烽火が・・・。 |
南側の堀底。よほど足許に気をつけていないと、底なしの堀(ちょっと大げさ)に引き込まれます。 |
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南側、有ヶ池に面した捨曲輪。台地先端が緩やかに下がっているので、堀で切り離してしまったものでしょう。削平はされていません。 |
捨曲輪の土塁。主郭から見ると、堀の外側に土塁が築かれていることになります。これも地形的制約に対処したものでしょう。 |
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堀1の南西端には谷津に向かって水の捌け口がありますが、小さな田んぼのような区画があります。ここに水門を設けて堀の水位を調整したものではないかと想像。 |
主郭の西の天然の谷津。湧水が音を立てて流れています。乾いているように見える場所も地獄の泥沼、ソレガシは痛い目に遭いました。。。 |
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主郭南の捨曲輪から見る有ヶ池。池は田んぼに変わりましたが、今でもお城の直下には帯状の湿地が名残を残しています。 |
尋常ではなく広いU曲輪。ほとんどが畑になっています。所々に凹凸があるのは土塁を崩した土を畑に使った名残でしょう。 |
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U曲輪の土塁。曲輪の内側は農地のために削られている場所が多く、痛々しい断面を覗かせています。 |
U曲輪とV曲輪を繋ぐ土橋。土橋の南東には高い櫓台があり、土橋の通行を監視しています。 |
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U曲輪から東の「柄目」(搦手)へ向かう土橋。このあたりも天然の谷津になっていて、そのままU、V曲輪を囲む堀3に繋がります。 |
堀2、堀3もところどころ泥田堀化しています。しかしこのあたりは不法投棄のゴミが多いのが惜しまれるところです。 |
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U曲輪に輪をかけて広大なV曲輪。改変されていますが、土塁や堀の痕跡は十分辿れます。 |
V曲輪西端の民家敷地内の土塁。こうした土塁があちこちに残存します。このあたりに小さな城址の標柱もあります。 |
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V曲輪から外郭へと繋がる土橋の跡。現在は道路になっています。 |
V曲輪とW曲輪を隔てる堀4。堀底に建物が建っていることからも、その幅の広さがわかるでしょう。W曲輪は谷津を隔てて主郭と対峙する、防衛の要ともなる場所です。 |
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点在する外郭遺構の一つ、阿弥陀寺墓地の土塁。ここはちょうど堀のコーナーにあたり、櫓台があったように見えます。 |
阿弥陀寺山門附近の土塁。ここの土塁と堀は断続的に台地の端まで続いています。 |
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さらに外側、引接寺墓地脇の土塁と堀。ここも堀のコーナー部にあたります。 |
額田小学校東北側の道路沿いに残る堀と土塁。まったく、なんという広大なお城なんだろう・・・。 |