里見同族決戦の舞台を見下ろす

滝田城

たきたじょう Takita-Jo

別名:

 

千葉県安房郡三芳村上滝田

 

城の種別

山城

築城時期

天文三(1532)年頃?

築城者

里見氏?一色氏?

主要城主

一色氏、里見氏

遺構

曲輪、堀切、虎口

滝田城全景<<2002年02月24日>>

歴史

軍記物や伝承では里見義実の築城と伝えられるが、史実としては天文はじめのころ、里見義豊が築き、城代の一色九郎に守らせたらしい。天文二(1533)年、里見義豊による正木通綱、および叔父の里見実堯誅殺に始まる里見氏の内訌「天文の内乱」では、妙本寺での合戦に敗れた里見義豊が滝田城に立て篭もったが支えきれなくなり、真里谷城の武田氏を頼って上総に逃れた。滝田城は城代の一色九郎が守ったがほどなく落城し、一色九郎は自刃した。翌天文三(1534)年四月、上総に逃れた里見義豊が真里谷武田氏の援軍を得て安房に向けて南下中、この滝田城下の犬掛付近で迎え撃つ里見義堯軍と遭遇、激戦になり(犬掛合戦)、義豊勢は数百人が討ち取られて敗走し、義豊も戦死して前期里見氏の嫡流は滅亡した。天文の内乱を勝利した里見義堯は上総への侵出を睨み、天文六(1537)年頃には一時期、平郡に在城したと言われるが、それがこの滝田城だった可能性が高い。その後は里見氏は本拠地を久留里佐貫岡本館山と移している。

「南総里見八犬伝」では里見義実の居城として有名な滝田城です。史実として滝田城が語られるのは天文二年からの里見氏の内部分裂、「天文の内乱」からです。虚実織り交ぜて語られることが多いこの内乱ですが、史実に最も近いと思われている線としては、里見家三代当主である義豊が、叔父であり正木氏等の安房・上総の有力勢力と結びついた実堯と、正木通綱を稲村城で誅殺した事から始まり、実堯の子・義堯が北条の力をバックに逆襲、妙本寺付近の合戦、そしてこの滝田城下の「犬掛合戦」で勝利し義豊を討ち取った、とされるものです。

この滝田城自体も、前述の里見八犬伝や軍記物、伝承などによってバラバラな記述になってしまっていますが、確実なのは平久里街道と言う陸上交通の幹線を押さえる重要な城であったということ、そして城下の犬掛での合戦により天文の内乱の帰趨が決まったこと、です。実際に、平久里街道は安房中央部を南北に走り、犬掛付近では宮本城方面への道と、丸山町方面への東海岸方面への道が交差する非常に重要なポイントです。いずれにせよ、非常に重要な位置を占める要衝だったことは疑いありません。

里見氏系城郭全般に言えることですが、この滝田城も腰曲輪と堀切主体の非常にシンプルな城で、あまり技巧的に特筆すべき場所はありません。削崖などは明瞭な物は見つけられませんでしたが、周囲がとにかく非常に急傾斜を持つ断崖絶壁なので、あまりそういった普請は必要の無い地形だったのかもしれません。意外なほど小ぶりでシンプルな山城ですが、車なら館山からもさほど遠くないので、里見氏ファンの方は館山城稲村城見学の「ついで」にでも立ち寄られて見てはいかがでしょうか。

【再訪:2003.09.28】

一泊オフ「安房里見氏と青岳尼ツアー」で再度訪れました。以前行ったときは下滝田寄りのコースから遠見山展望台経由で登ったのですが、今回は別なルートをたまたま見つけて、上滝田寄りのコースから攻めてみました。これが大正解、こちらが本来の根古屋コースだったようで、100mを越える馬場、土塁、沢山の腰曲輪など、かなり見ごたえのある遺構が連続します。山道も結構歩きやすく、城郭遺構を見るならこちらがオススメです。滝田城はシンプルなお城であることには変わりがありませんが、こうして別な角度から眺めてみるとなかなかよく考えられた、完成された城郭であることを認識、滝田城に対する認識がすっかり変わってしまいました。里見系山城のなかでも、間違いなくオススメですよ!

決戦の舞台となった犬掛古戦場から、写真中央付近の滝田城を見る。山あいの隘路、平久里街道は安房を南北に貫く陸の主要幹線です。 南側から見上げる滝田城。右手の尾根上に遠見山の展望台が見えています。

遠見山の展望台。ここを本丸と勘違いする人もいるようですが、本丸はもう少し南西寄りの鉄塔が建っているあたりです。伏姫飛翔の像などもあります。景色がいいので、せっかくだからここまで来ましょう。 遠見山の展望台からは安房の主要街道である平久里街道が一望の元に。写真は天文の内乱で義堯の勝利を決定的に決めた犬掛古戦場方面。手前に突き出た丘が馬場です。

主郭の背面にあたる堀切。この横には土橋もあります。 主郭櫓台背後の南東へ向かう尾根上にも堀切があります。ここには竪堀もあったそうですが、急傾斜対策工事で姿を消してしまいました。

鉄塔が建つ主郭櫓台。小さな祠が祀られており、滝田城址の標柱には「城代一色九郎の居城」「南総里見八犬伝発祥の地」などとかかれています。 櫓台そのものは狭く居住性はありません。その一段下の広い空間が主郭です。櫓台がかなりの高さであることがわかります。

山の上としては意外なほど広い主郭から高く聳える櫓台を見る。 主郭の周囲は非常に急な崖になっていて、一部には急傾斜対策工事が施されています。そのため若干の遺構が失われたようです。

主郭と根古屋の間には、大小さまざまな曲輪が数多く確認できます。形式は古いながらも、完成された山城であることを認識しなおしました。 多少藪化していましたが、竪堀も確認できます。

急坂の虎口。一応、外枡形の土塁虎口らしき形状をしています。虎口の前は竪堀状に狭められていて、シンプルながらも効率の良い防御ができるようになっていました。 山すそに突き出す台地上の馬場。100mにも及ぶもので、削平もしっかりしています。山麓の遺構の最大の見所。

馬場の山側には、かなりしっかりした作りの土塁が盛られています。これだけしっかりした土塁は他の里見氏系城郭ではあまり見られないものです。 平久里街道を見下ろす高台に占地する根古屋地域。田畑になってもその地形の名残をよく残しています。

 

交通アクセス

館山自動車道「木更津南」ICより車90分

JR内房線「館山」駅よりバス30分

周辺地情報

数ある里見氏ゆかりの城の中でも稲村城は赤丸おすすめ。宮本城は尾根続き。せっかくだから犬掛古戦場や滝田城直下の「十三塚」などの古戦場伝承地も見て欲しいところ。至近距離には高月城などの支城もある。

関連サイト

 

 
参考文献

「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」(川名登 編/図書刊行会)

「房総の古城址めぐり(上)」(府馬清/有峰書店新社)

「新編房総戦国史」(千野原靖方/崙書房)

「さとみ物語」(館山市立博物館)

「千葉城郭研究第6号・小特集 滝田城跡と平群街道」(千葉城郭研究会)

「図説房総の城郭」(千葉城郭研究会/国書刊行会

「中世城館調査報告書」(千葉県天津小湊町)

現地解説板

参考サイト

余湖くんのホームページ

 

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