妙本寺は安房有数の日蓮宗の古刹で、寺伝によれば駿河大福寺の住職・日郷が開山の祖で、康永年間(1342-1344)、房州に遊歴中、地頭職笹生左衛門尉重信の招きで一寺を建立したのだそうです。里見氏との関係は特に義堯の時代になって強くなり、住職・日我は義堯のブレーンの一人だったといいます。里見氏に関する文書や北条氏の制札が多く残されており、当時を知る上での一級史料の宝庫としても知られていますが、この妙本寺の裏山に城砦があったことを知る人は少ないのではないでしょうか。
城砦といっても、物見と太鼓打ち場を兼ねた小規模な曲輪と堀切があるだけですが、里見氏の歴史にたびたび登場するように、幾度も合戦が繰り広げられた舞台でもあります。それはなんと言ってもこの妙本寺の地勢にキーがあるようです。妙本寺砦は海に突き出した標高30mほどの岩山ですが、この両側には吉浜、保田の砂浜が広がっています。北の金谷城・明鐘岬と南の勝山城に挟まれた中継地だったことと同時に、切り立った岩盤の多い海岸線に開かれた小湾状の砂浜は、軍事港としても物流拠点としても、また北条氏から見たときの上陸ポイントとしても非常に重要な地点です。むしろ、ここに砦を築かない方が不思議で、もっと言えば、もう少し本格的な、恒久築城があっても全く不思議でない場所です。
前述の通り、遺構は小規模な曲輪と堀切のみです。とくに堀切は明瞭に残っています。この妙本寺の裏山には通らしい道は無く、寺内の墓地から直登するしかありません。まあ大した高さでも急斜面でもないのですが、海に面した側は屹立した岩肌になっていて、滑り落ちたらタダでは済みません。しかし、その景色の素晴らしさは保証します。足もとに気をつけて見学しましょう。また、本来はこの要害の先は海のはずですが、今では「道の駅 きょなん」ができてしまい、突端部の足もとが海、というスリルは味わえません。もしかしたら国道とこの道の駅の建設で、突端部は若干削られている可能性もあります。
城砦としての規模は小さく遺構も大したことは無いのですが、里見氏ファンはぜひ立ち寄ってもらいたい場所です。