水軍基地を見学するのはここが初めてです。里見氏が約30年間居城とした、といいますが、城自体の規模はさほど大きくはなく、また築城様式も古いように感じられました。まあ里見氏の城郭はどれも作りが古めかしいのが多いので、特に意外ではありませんでしたが、一時期、里見氏の本拠であったにしては、規模が小さく、また立地も南に偏っているような気がします。やはり、岡本城が本城であった時代の里見氏の勢力が後退しつつあったことを表しているのでしょうか。
今は山頂の里見公園以外はほぼ全山、富浦町の特産品、枇杷の畑になっています。しかし、各主要曲輪間に残る堀切などはなかなか規模が大きく、見ごたえがあります。また、堀切や虎口には目立たないながらも石組みが見られます。近世城郭のような高石垣ではありませんが、規模は小さいながらも要所要所にある石組みは貴重な遺構です。岩盤をくり抜いた「桝ヶ池」なる遺構もあるそうですが、場所が分からず、枇杷畑なので荒らしちゃイカンと思い見学は諦めました。
興奮したのは、遠景を撮るために海岸まで行った時に、舟溜りらしき場所を見つけたこと。入江の奥は砂浜になっていますが、その両端は岩場になっており、その北端の岩場に多数のピットが見つかりました。もちろん、これが水軍の港のものであったかどうかは分かりません。後世の漁民が穿った穴かもしれませんが、よく見るとこの岩場は櫛状に海に何本か突き出しており、その形状は小型の船の繋留には最適な地形です。おそらく、舟溜りとして使われたことでしょう。
このピットが水軍の遺構かどうか、ご存知の方、情報下さい。
<<再訪:2003年01月12日>>
「桝ヶ池」をはじめとした見逃していた遺構を見に、再度行って来ました。この「桝ヶ池」は、三郭から北に派生する尾根の付け根にあり、枇杷畑の中にあります。いわば堀切の位置に天水を貯蔵する池を持ってきたもので、岩盤を文字通りくり抜いて、貯水池としての機能のほか、水堀としても機能していたようで、丘陵上にある遺構としては珍しいもののようです。黒々とした水がなかなか神秘的でした。
それより今回驚いたのは、枇杷畑を廻っていたトロッコ用のモノレールがなくなり、かわりに農耕車両用(?)の舗装路ができていたこと。これによって激しい遺構の破壊があった、というわけではありませんが、一部の遺構と思われる部分が破壊されてしまい、またもともと農地化されて分かりにくかった遺構がますます分かりにくくなってしまいました。「里見公園」として公有地化されているのは主郭付近だけですので、文句を言う筋合いではないのですが、関東に名を馳せた戦国大名・里見氏の居城としてはあまりにも寂しい気はします。