安房里見水軍の基地

岡本城

おかもとじょう Okamoto-Jo

別名:

千葉県安房郡富浦町豊岡

(里見公園)

城の種別 平山城(海城)

築城時期

不明

築城者

岡本氏?

主要城主

里見氏

遺構

曲輪、土塁、堀切、石積み、虎口、舟溜り

推定舟溜りから見る岡本城全景<<2001年12月29日>>

歴史

もともとは里見氏家臣の岡本豊前守氏元の居城であったが、元亀元(1570)年に佐貫城に在城していた里見義弘に召し上げられ、安房の守りとして弟(?)の義頼に与えられ、大修復を受けたという。

天正六(1578)年、里見義弘死後、義弘の嫡子・梅王丸と、弟(庶子長男とも)の義頼が相続を争い、天正八(1580)年、勝ち残った義頼が居城とした。家督争いに敗れた梅王丸は佐貫城を開城後、琵琶首館に幽閉された。のちに岡本城に召還され、無理やり剃髪させられて淳泰と名乗らされ、岡本城近くの聖山の一庵で余生を送った。淳泰は里見氏改易後の元和八(1622)年に聖山で死去した。天正十六、七年(1588,9)頃、岡本城内で火災が発生し、岡本頼元が里見義康より出仕の停止処分を受けている。

天正十八(1590)年の北条氏滅亡後、上総を没収された里見義康が天正十九(1591)年、居城を館山城に移すまでの間、里見氏歴代当主の居城とされた。

水軍基地を見学するのはここが初めてです。里見氏が約30年間居城とした、といいますが、城自体の規模はさほど大きくはなく、また築城様式も古いように感じられました。まあ里見氏の城郭はどれも作りが古めかしいのが多いので、特に意外ではありませんでしたが、一時期、里見氏の本拠であったにしては、規模が小さく、また立地も南に偏っているような気がします。やはり、岡本城が本城であった時代の里見氏の勢力が後退しつつあったことを表しているのでしょうか。

今は山頂の里見公園以外はほぼ全山、富浦町の特産品、枇杷の畑になっています。しかし、各主要曲輪間に残る堀切などはなかなか規模が大きく、見ごたえがあります。また、堀切や虎口には目立たないながらも石組みが見られます。近世城郭のような高石垣ではありませんが、規模は小さいながらも要所要所にある石組みは貴重な遺構です。岩盤をくり抜いた「桝ヶ池」なる遺構もあるそうですが、場所が分からず、枇杷畑なので荒らしちゃイカンと思い見学は諦めました。

興奮したのは、遠景を撮るために海岸まで行った時に、舟溜りらしき場所を見つけたこと。入江の奥は砂浜になっていますが、その両端は岩場になっており、その北端の岩場に多数のピットが見つかりました。もちろん、これが水軍の港のものであったかどうかは分かりません。後世の漁民が穿った穴かもしれませんが、よく見るとこの岩場は櫛状に海に何本か突き出しており、その形状は小型の船の繋留には最適な地形です。おそらく、舟溜りとして使われたことでしょう。

このピットが水軍の遺構かどうか、ご存知の方、情報下さい。

<<再訪:2003年01月12日>>

「桝ヶ池」をはじめとした見逃していた遺構を見に、再度行って来ました。この「桝ヶ池」は、三郭から北に派生する尾根の付け根にあり、枇杷畑の中にあります。いわば堀切の位置に天水を貯蔵する池を持ってきたもので、岩盤を文字通りくり抜いて、貯水池としての機能のほか、水堀としても機能していたようで、丘陵上にある遺構としては珍しいもののようです。黒々とした水がなかなか神秘的でした。

それより今回驚いたのは、枇杷畑を廻っていたトロッコ用のモノレールがなくなり、かわりに農耕車両用(?)の舗装路ができていたこと。これによって激しい遺構の破壊があった、というわけではありませんが、一部の遺構と思われる部分が破壊されてしまい、またもともと農地化されて分かりにくかった遺構がますます分かりにくくなってしまいました。「里見公園」として公有地化されているのは主郭付近だけですので、文句を言う筋合いではないのですが、関東に名を馳せた戦国大名・里見氏の居城としてはあまりにも寂しい気はします。

本丸跡。里見公園になっていますが、簡易トイレと城址の石碑以外にはとくに何もありません。草も伸び放題で里見氏の本城としてはちと寂しい。 本丸跡に建つ城址の碑。ここからは木の間に浦賀水道が見渡せます。

主郭は二つの区画があり、城址碑の後ろにやや高い場所があります。ここからは豊浦の海岸線が一望のもとです。海城としての岡本城の存在価値がわかる景色。

豊浦の海岸を外海から護る大房崎。この半島台地には城郭遺構や烽火台はないのでしょうか?

遠く鏡ヶ浦(館山湾)を見晴らす。この日はこんな船も入港していました。

本丸と二ノ丸の間の堀切。写真では規模は伝わりませんが、岩盤を叩き割った堀切はかなりの高さがあります。枇杷運搬トロッコのレールは撤去されていました。

堀切に面した二ノ丸虎口。写真左の自然の岩と右側の石組みで食い違い虎口のような形状になっています。(この部分は農耕用の舗装路建設により消滅しました) 二ノ丸の堀切付近は二段の石組みが見られます。あまりにも整いすぎているので、後世のものかも知れませんが・・・

三ノ丸周囲に点在する石積み。これらは城郭遺構なのかそうでないのか、見た目だけから判断するのはなかなか難しいです。

やはり畑になっている三ノ丸。わずかに土塁のような構造が見られます。土塁というよりも、尾根を削り残したもの、と見るべきでしょう。(この部分は農耕用の舗装路建設によりやや形状がわかりにくくなりました)

北に派生する尾根の付け根にある枡ヶ池。岩盤をくり抜いた堀切に天水を貯蔵し、イザというときには水堀としても機能したとの事。比高差の大きい丘陵上の遺構としてはかなり珍しいものです。

こちらは安房、上総のお城につきもののヤグラ、横穴墓です。周囲の垂直な切岸も遺構の一部と見てもいいのでしょう。

主郭の南側直下に位置する城主居館推定地。学芸大付属小の寮がある附近は周囲より数m高い台地になっており、居館を営むには絶好の位置にあります。 岡本城の前に広がる豊岡の海と大房崎。美しいなあ。

岩場に穿たれたピット。水軍のものか、漁業用のものかは不明。 しかし、この海に何本も突き出た岩場は水軍基地には最適だと思いませんか?

 

交通アクセス

館山自動車道「鋸南富山」IC車20分。

JR内房線「富浦」駅徒歩10分。

周辺地情報

館山城宮本城など里見関連の城。

関連サイト

 

 
参考文献 「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」(川名 登/図書刊行会)、「図説房総の城郭」(千葉城郭研究会)、『村落型城郭から都市型城郭へ』(柴田龍司/「千葉城郭研究第3号」収録/千葉城郭研究会)、「房総の古城址めぐり(上)」(府馬清/有峰書店新社)、「新編房総戦国史」(千野原靖方/崙書房)、「さとみ物語」(館山市立博物館)、「房総里見水軍の研究」(千野原靖方/崙書房)、『つねに北条海賊を破った無敵里見水軍』」(府馬清/「戦国の房総を語る」暁印書館)、『後北条氏の海上防備と浦支配』(下山治久/「千葉県の歴史13」千葉県企画部県民課)ほか

参考サイト

余湖くんのホームページ

 

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