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上後の集落から見た峰上城。ほんとうはこの写真の奥方向に伸びる尾根上に展開しているので、正しい全容とは言えませんが、撮影ポイントが確保できなかったもので・・・。一見、何の変哲も無い丘陵、しかしこれが究極の要害だった!
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主要部へ向かう細い道路わきに残る見落としそうな小さな堀切1。ここから北尾根には三条の堀切が連続します。
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ここも小屋のせいで見落としそうですが、大きな堀切(堀切2:「大橋」)です。 |
北側尾根最大の堀切(堀切3)。おなじみ、オレンジャー殿のオープンカーと比べると大きさがよく分かるでしょう。しかし、オープンカーに泥だらけの男三人、なんとアヤシイ・・・。 |
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大橋脇にある石井家墓所。真里谷義房の娘を娶り、縁戚関係にあたるそうです。 |
鍛治曲輪と呼ばれる付近からの眺望。湊川の支流・志駒川流域の平地が見渡せます。 |
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通称「大門」。大手門にあたりますが、何の変哲も無い切通しの坂虎口です。 |
農地になっているV曲輪「要害」附近。ここには三軒の家がありますが、やはり峰上城主の関係の方であるそうです。 |
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U曲輪虎口は崖縁入路で、かつ尾崎曲輪へ向かう尾根との分岐点でもあります。 |
これはT曲輪虎口をゆくオレンジャー殿。曲輪は主郭に向かって段々に高くなりますが、各曲輪の虎口は枡形等の構築は見られず、切通し風の原始的なものです。曲輪を仕切る土塁や堀も無いようです。ここは今思えば多少食い違い虎口といえなくも無いかな・・・。 |
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T曲輪西側の土居上を歩きます。この写真の左は急崖。 |
主郭先端最高部にある環神社。削り残しの土塁に囲まれているように見えますが、これは神社に伴うものかも。ここから「七ツ堀切」へと向かいます。 |
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環神社の裏の尾根は、「これでもか」というくらいの堀切が連続します。通称「七ツ堀切」。これは環神社寄りの最大規模のもの。崖を降りるのが大変だ! |
「七ツ堀切」ふたつ目。立て続けに堀切が現れる、最大の見所でもあります。周囲が急傾斜で歩くのは大変。環神社から降りるのも命がけ(ちょっとオーバー)。 |
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三つ目の堀切を歩くオレンジャー殿。さすがのヤブレンジャーもこの連続堀切には驚くやら、呆れるやら。 |
六つ目。中央左手にオカレンジャー殿が立っているので、大きさをくらべてみてください。 |
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最後の七つ目。ここまで本当に来るとは・・・。七つ目ともなると、なんとなく手抜き工事の雰囲気もチラホラ見えています。 |
台地を囲む垂直削崖。もともと崖なんでしょうが、執拗に削りたてたその塁壁はまともに上り下りするのは困難を極めます。まさに究極の要害。 |
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ここが搦手らしい。崩れていて原型を留めていないが、石積みを用いた坂入虎口で、佐貫城の搦手と構造が似ています。 |
殿井戸は今でも水が湧いているようです。なぜビニールシートが、と思ったら、どうもポンプで汲んでいるらしい。つまり、今でも現役の井戸なんですね。 |
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殿井戸周辺の超急崖を上から覗く。岩盤が濡れている上、断崖絶壁なので危険極まりない。 |
殿井戸方面の尾根を西に進むと尾崎曲輪。これはその手前の池跡。このあたりは湧水も多いようです。 |
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尾崎曲輪は水田になっていました。ここが里見氏を苦しめた房州逆乱の中心地。以前はここまでで引き上げましたが、この先のヤブに突き進んでみると・・・。 |
おお、コワ!ほとんど垂直な堀切12.写真じゃその怖さが伝わらないでしょうが、これ以上端へは近寄れない。 |
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それでもなんとか強引に降りて撮影した堀切12。堀切というより、岩盤を強引に叩き割った切通しのように見えます。 |
こちらも強引に突き進むオカレンジャー殿。岩の隙間をくぐるように進む。足元は急崖なのだ。 |
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折れを伴った堀切13附近で崖を覗き込むオレンジャー殿。ここの崖はほんとにスゴイ。この後、オレンジャー殿は峰上城の夢を見たそうです(笑)。 |
東側の「東井戸」、こちらも現役。この附近にはもうひとつ、「馬洗井戸」があります。意外と水には困らないお城だったのかも。 |