戸石城その2:「本城」-「戸石城」-「米山城」

いよいよ雄大な「本城」へ。「本城」は大きな削平地と削崖が連続しますが、堀切は主郭背後の一箇所のみ。意外にシンプルなお城です。

[ 内小屋-枡形城 ] [ 本城-戸石城-米山城 ]

  

戸石城群概念図(左)、東側より全景(中)、南側より全景(右)

クリックすると拡大します

「から堀跡」の標示のある「本城」主郭背後の大堀切1。さすがに規模が大きいです。「本城」の堀切はこの一箇所だけのようです。 「本城」最上部の主郭T。かなり広い曲輪で、険しい山の頂であることが嘘のようです。居住にも十分に耐えられるスペースです。

「本城」主郭北端の土塁と堀切。主郭の奥に土塁と堀切を設ける方法は同じ村上氏系の葛尾城などのほか、小笠原氏の城郭でも何箇所か見られました。 主郭から、虎口を見る。

「本城」主郭へと至る虎口の石垣。ほんとにわずかではありますが、こうした石積み遺構などもあります。

「本城」二郭から主郭を見る。切岸の規模は写真で見るよりもはるかに大きいです。

「本城」三郭東側の腰曲輪、というより、削崖と土塁で囲った、大きな枡形空間のように見えます。 左写真の枡形状の空間から見上げる。ね、枡形っぽく見えるでしょ(?)

「本城」の防御の主体はこの削平地群と高い切岸でしょう。手法そのものはシンプルですが、どこもかしこも規模が大きい。 「本城」から「戸石城」へ向う尾根は意外なほど広く緩やかで、かつでは馬場であったとされています。

戸石城群の南端、「戸石城」へ向う。右手の坂を下りると「米山城」へ向います。「戸石城」へは小規模な堀切6を渡り、急斜面の切岸を登ります。 小さな曲輪の「戸石城」。上田平に眺望の利く、物見の曲輪といった感じです。

東側の「内小屋」に向って降りる尾根筋の堀切7。この尾根筋は通行禁止になっていました。 「戸石城」から見る真田の里。真田本城や「お屋敷」付近が手に取るように見えます。

「戸石城」付近から上田盆地を見る。市街地に埋もれた上田城、遠く塩田城のある独鈷山も見えています。 手前の小丘陵が「米山城」です。戸石城群とは別な城として扱われるケースもありますが、いっぺんに見学したので、ここでは同じ戸石城群の一部として掲載します。

「戸石城」から「米山城」に向う急な坂道。すげー急です。最近は木段が整備されました。 これもこ「米山城」への道。岩だらけのガレ場です。足許注意!

「戸石城」と「米山城」の間の鞍部には「馬場跡」の標示が。でもこんな狭い尾根で馬を走らせたのでしょうか? もう一回急坂を登って「米山城」へ。主郭には村上義清の碑が建つ。

「米山城」の標柱と解説板。それよりもなによりも、この燃えるような紅葉の紅一色! 「米山城」にはざっと三段の曲輪があり、実質的にはやはり戸石城群からは半独立の「出城」と見たほうがいいのかもしれません。

「米山城」にはご覧の石塁があります。道じゃない場所であるにもかかわらず、多くの人が踏み越えた跡が。これは自分と同じようなお城マニアが寄ってきた跡に違いない(笑)。 「米山城」から上田ローマン橋と伊勢崎城(手前の小丘陵)を見る。伊勢崎城には「第一次神川合戦」のときに伏兵を置いたといわれています。

[ 内小屋-枡形城 ] [ 本城-戸石城-米山城 ]

埋もれた古城 表紙 上へ