戸石城その1:「内小屋」-「枡形城」

ここでは、内小屋、大手道、水の手を経由して本城の脇を通り抜け、枡形城至るまでを紹介します。

つづら折の大手道はさすがに息が切れますが、男性で3-40分くらいで歩けるでしょう。多くの人が訪れるだけあって、道はよく整備され、要所要所に道しるべや標柱、解説がありますので、安心して歩けますね。

「信玄がどこを攻めようとしてどこから反撃されたのか」そんなことを考えながら歩くと楽しめるかも。

[ 内小屋-枡形城 ] [ 本城-戸石城-米山城 ]

  

戸石城群概念図(左)、東側より全景(中)、南側より全景(右)

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伊勢山地区は旧松代街道に沿った宿場の雰囲気が残ります。今は主要道路から外れていますが、もともと戸石城はこの松代街道を取り込んだ城である、ともいわれます。 陽泰寺駐車場手前の土塁?手前の防火水槽の位置も堀に見えます。城下町と「内小屋」を区切る城戸でもあったか??

内小屋入り口に近い、陽泰寺に車を置かせてもらいます。ここの山門も立派です。現在は大河ドラマにちなんで「風林火山」の旗がはためいています。 「内小屋ヲヘテ戸石城大手口」の小さい道しるべがあります。この畑地が戸石城群の中枢部である内小屋です。

内小屋の入り口をがっちりと守る堀切9。確認されたのは近年らしいですが、堀の名残は明瞭です。総幅は8mほどもあるそうです。向こう側は断崖絶壁。 内小屋の堀から斜面を見上げると長大な竪堀8が。内小屋の堀9と一体化して、内小屋区画を分断します。この堀は「戸石城」に向うようですが、この付近は入山禁止です。

内小屋は数段の削平地がは畑として名残をとどめています。道路沿いの石塁は後世のものでしょうが、削平地の切岸面には遺構?と思われる石積みがあります。

内小屋の東側、神川へ落ち込む崖の上の尾根。この尾根も内小屋区画を構成する重要な要素、天然の土塁です。この尾根沿いに「枡形城」へ向うルートは藪化していて危険だったので引き返しました。

内小屋区画を斜面の上から見る。左手の尾根が内小屋の東尾根、畑になっている部分が居住区である内小屋です。 小さな道しるべに従い舗装道路から山路へ。ここが大手道の入り口になります。大手道はつづら折の急坂です。

大手道のつづら折を登り、「水の手」との分岐点を目指します。分岐点の手前には、写真の長大な竪堀5がありました。 大手道から北に逸れて水の手へ。奥まった谷には大きな削平地が連続しています。

同じく水の手周辺の削平地。この付近は内小屋よりもさらに上、谷の奥にあたります。 やっと見つけた水の手。井戸というより湧水です。今でも水が湧き出ています。一番大きな削平地の端にありちょっと見つけづらい。上からだとこんな風に見えます。

この水の手区画の前面を分断する沢。自然の沢ではありますが、斜面には人工的に削ったような切岸地形もあります。 大手道に戻ってさらに登る。いよいよ「本城」と「枡形城」の分岐に来ました。ここは番所や門などがあったのではないでしょうか。

うおぉぉぉ凄い!さすが「本城」の削平地、削崖の規模の大きさは度肝を抜く!雄大だ!でもとりあえず「本城」の脇を通り抜けて「枡形城」へ。 尾根上にある矢竹。城跡に行くと竹がいっぱい生えてますよね。これらの多くは当時の矢の材料になっていた竹の子孫たちです。

「枡形城」までは砂地の急斜面の尾根をもうひと踏んばり。ここは小規模ながらも堀2、3があり、尾根を土橋状に削り残して侵入路を狭めています。 やっと着きました「枡形城」。戸石城群の最高所にあたります。

これが名前の由来ともなった枡形??。しかしこの狭い曲輪に枡形を作るかな・・・?狼煙台と見ることもできそうです。 「枡形城」の小規模な堀切4。二つの曲輪に分断されているようでした。

「枡形城」北側の曲輪から堀切4越しに南の曲輪を見る。 「枡形城」からは真田の郷が一望に見渡せます。真田本城や天白城、松尾古城も見えています。松尾古城の方から雪雲がやってきました。天候は下り坂か?

おまけ。ふと斜面の下を見るとカモシカがこちらを見上げていた。結構大きいです。馬かと思いました(嘘)。全く動かずにじっとこちらを見つめていました。鹿はおとなしい動物ですが、ビックリさせると逆ギレして角を立てたりパンチ攻撃に出たりすることがありますので気をつけましょう。

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