|
|
城の南側を洗う天然の外堀、都幾川。この河畔には「ホタルの里」があり、当時を偲ばせる湿地帯が保護されています。 |
都幾川へ流れ込む沢沿いの浸食谷。この深い谷と都幾川の流れに守られて、菅谷館はなかなかの要害の立地です。 |
|
|
埼玉県立歴史資料館の正面は館の搦手方面にあたり、国道254号バイパスに面しています。この道路から見える堀と土塁の見事さだけでも、期待に胸が高鳴ります。 |
外堀は空堀ではなく泥田堀でした。冬季のため水はわずかしかありませんでしたが、湿地であることは見て取れます。写真のような折れや歪みもあり、堀の幅、土塁の高さとも、立派な戦国城郭のそれです。 |
|
|
外堀北側、三郭と西郭間の堀と分岐する付近。ここからは内堀も見渡せます。この外堀には数箇所、堀内障壁らしきものがあり、堀障子であったか、それとも傾斜地における水位調整用の土居のようなものと推定します。 |
三郭内側。各曲輪は非常に重厚な土塁に囲まれています。 |
|
|
二郭と三郭の間には、埼玉県立歴史資料館が建っています。趣向を凝らした展示や企画が行われています。ここで各種パンフが貰えたり資料館の刊行物が購入できますので、先にここで資料を入手することをお薦めします。 |
西郭から三郭へ向かう正坫門(しょうてんもん)の土塁と木橋。木橋に傾斜をつけ、さらに蔀(しとみ)土塁によって曲輪内部への侵入と見晴らしを困難にしています。この西郭は後に拡張された大手曲輪ともいうべき空間でしょう。 |
|
|
正坫門付近の堀。非常に複雑な堀底の形状と高い土塁が印象的です。この土塁は櫓台であるとともに、外堀から内堀へ流す水量を調節する施設でもあったと思います。 |
その堀は数段の高低差を伴なって、西郭と三郭、二郭を区切っています。 |
|
|
西郭の先にはなんだか寂しげな土橋と泥田堀があります。地味ですがここが大手門です。この大手門を都幾川の方に下ると、前述の「ホタルの里」のある湿地に繋がっています。 |
これは都幾川の河畔からまっすぐ上がったところの南郭。他の曲輪より低い位置にあります。腰曲輪のひとつと見るべきでしょうか。あるいは何らかの倉庫、居住区かもしれない。 |
|
|
二郭の門跡の土塁付近に佇む畠山重忠公の像。歴史資料館の中には「しゃべる重忠公」もあります。 |
重忠公像の下の「溜池」とされる場所ですが、実態は外堀から分岐して水を流してきた内堀の先端に当たる場所です。季節が悪かったのか、水は全くありませんでした。 |
|
|
主郭の土橋。主郭にはこの土橋のほかに「生門」と呼ばれる虎口があり、そちらがもともとの畠山氏居館の門であると言われています。 |
主郭土橋の右手を固める出枡形土塁と堀。この出枡形によって土橋を渡る敵は常に右方向からの横矢を受けることになり、また堀にも屈曲が付くため堀底を進む敵の視界を奪い、やはり痛烈な横矢を浴びせることができます。 |
|
|
畠山氏の居館跡と伝えられる主郭。高い土塁に囲まれています。この写真の先の土塁が途切れた場所がかつての大手門、生門です。 |
主郭の南側には土塁がなく、かわりに斜面の下に長大な横堀があります。この比高二重土塁的な構造が北条的です。また数箇所、堀内障壁っぽい場所があり、見ようによっては山中城岱崎出丸の堀に似ている気がします。 |