大動脈、平久里街道を見下ろす
里見番所
さとみばんしょ Satomi-Bansho
別名:不寝見川番所
千葉県安房郡富山町平久里下
築城時期
天正年間?
築城者
里見氏?岡本氏?
主要城主
里見氏
遺構
曲輪、堀切、切岸、土塁、横堀 等
犬掛古戦場から見る里見番所<<2003年01月12日>>
歴史
安房から上総にかけては今でこそ海岸線にトンネルを穿って国道が通っていますが、内房、外房とも岩山が海岸線に落ち込む地形の連続で陸路を取るのは難しく、必然的に中央部を南北に貫く平久里街道が主要幹線になっていたでしょう。里見番所は平久里街道と岩井方面への街道が交差する場所にあり、平久里街道のど真ん中を遮断する絶好の位置にある独立丘です。丘そのものは比高60mそこそこ、周囲1kmに満たないくらいの小規模なもので、大軍に囲まれたらひとたまりもないですが、平時の街道監視や侵入する敵の前後を脅かすには十分でしょう。
しかも、他の里見氏系の城郭にはあまり見られない特徴があることも貴重です。しかし、かなりのガサ藪と倒木に覆われ、崩れやすい急斜面に囲まれているため見学にはあまり適していませんでした。遺構そのものも一部は倒木により破壊され、技巧的といわれる大手通路などは藪に覆われて判然としませんでした。里見氏系城郭にはあまりない、三段の曲輪を積み重ねた、いわゆる梯郭式の縄張りをもっており、ニ・三郭から派生する帯曲輪には土塁が盛られ、横堀のような様相を見せています。類似するものといえば、上総秋元城くらいしか思いつきません。
ここは何件かのお宅の私有地であるらしく、ガサ藪をくぐり抜けて下山したところ、附近の所有者のひとりとお話することができました。山上の祠に行く道を整備する計画などがあるそうです。自分は所有者がわからず黙って入ってしまいましたが、北側の山麓附近の数件の民家が所有者であるそうですので、見学される際は所有者に一言断った上で、安全なルートを教えてもらう方がいいと思います。結果的に自分は無断で立ち入ってしまった上、道でもない場所を歩いてしまったわけで、ちょっと反省しています。
二郭北側の斜面にあった石積?自然地形のようにも見えますが、里見氏系城郭には小規模な石積みを伴うものが多いのでこれももしかすると・・・?
三郭には二郭よりもさらに規模の大きい横堀状遺構があります。二郭との間は斜面を削り落として急斜面を作り出しています。
この頁の作成には千葉城郭研究会発行「図説房総の城郭」および、城郭会の遠山成一様より頂いた資料等を参考にさせて頂いております。貴重な資料と情報をご提供下さった遠山様にこの場を借りて御礼申し上げます。
交通アクセス
館山自動車道「鋸南富山」ICより車30分。バス等は不明。
周辺地情報
関連サイト
参考サイト
余湖くんのホームページ