大動脈、平久里街道を見下ろす

里見番所

さとみばんしょ Satomi-Bansho

別名:不寝見川番所

千葉県安房郡富山町平久里下

城の種別 平山城(丘城)

築城時期

天正年間?

築城者

里見氏?岡本氏?

主要城主

里見氏

遺構

曲輪、堀切、切岸、土塁、横堀 等

犬掛古戦場から見る里見番所<<2003年01月12日>>

歴史

歴史的には一切不明。天文二(1533)年からの里見氏の内乱である「天文の内乱」では附近の犬掛が戦場となったが、この内乱時には里見番所は存在していなかったと思われる。天正六(1578)年、里見義弘死後、義弘の嫡子・梅王丸と、弟(庶子長男とも)の義頼が相続を争い、天正八(1580)年、義頼が梅王丸の籠る佐貫城を開城させ、梅王丸は出家させられえて琵琶首館に幽閉されたが、この頃の築城、あるいは天正十四(1586)年、平久里天満宮の造営を大檀那として行った岡本但馬守実元が築城に関わった可能性も指摘されている。

安房から上総にかけては今でこそ海岸線にトンネルを穿って国道が通っていますが、内房、外房とも岩山が海岸線に落ち込む地形の連続で陸路を取るのは難しく、必然的に中央部を南北に貫く平久里街道が主要幹線になっていたでしょう。里見番所は平久里街道と岩井方面への街道が交差する場所にあり、平久里街道のど真ん中を遮断する絶好の位置にある独立丘です。丘そのものは比高60mそこそこ、周囲1kmに満たないくらいの小規模なもので、大軍に囲まれたらひとたまりもないですが、平時の街道監視や侵入する敵の前後を脅かすには十分でしょう。

しかも、他の里見氏系の城郭にはあまり見られない特徴があることも貴重です。しかし、かなりのガサ藪と倒木に覆われ、崩れやすい急斜面に囲まれているため見学にはあまり適していませんでした。遺構そのものも一部は倒木により破壊され、技巧的といわれる大手通路などは藪に覆われて判然としませんでした。里見氏系城郭にはあまりない、三段の曲輪を積み重ねた、いわゆる梯郭式の縄張りをもっており、ニ・三郭から派生する帯曲輪には土塁が盛られ、横堀のような様相を見せています。類似するものといえば、上総秋元城くらいしか思いつきません。

ここは何件かのお宅の私有地であるらしく、ガサ藪をくぐり抜けて下山したところ、附近の所有者のひとりとお話することができました。山上の祠に行く道を整備する計画などがあるそうです。自分は所有者がわからず黙って入ってしまいましたが、北側の山麓附近の数件の民家が所有者であるそうですので、見学される際は所有者に一言断った上で、安全なルートを教えてもらう方がいいと思います。結果的に自分は無断で立ち入ってしまった上、道でもない場所を歩いてしまったわけで、ちょっと反省しています。

平久里街道(写真右手の道路)を見下ろす小高い丘が里見番所。犬掛古戦場もすぐ近くです。 藪を漕いで急斜面を登りきると、目の前に堂々とした三段積みの曲輪が現れました。写真は不鮮明ですが実際には結構迫力がありました。
東西に細長い主郭。尾根上を若干削平したもので、あまり居住性はありません。 主郭に祀られた御嶽社の祠。あとで聞いたお話ですが、ご近所の方が時々参拝されているらしいです。どこを登ってくるのだろう??
東側へやや緩く傾斜する尾根筋に設けられた堀切。形状は判然としません。 左の堀切からは竪堀が伸びていますが、これも藪に覆われて判然としませんでした。
主郭帯曲輪周囲の削崖。削崖は里見氏系城郭の基本要素であり、戦国後期のものとみられるこの里見番所でも至るところでこの手法が使われています。 一番広い二郭。ここが番所としての中枢区画であったと思われます。
二郭の北西面には、派生する帯曲輪に土塁を盛った遺構があり、横堀のようにも見えます。 同じく二郭北側の横堀状遺構。

二郭北側の斜面にあった石積?自然地形のようにも見えますが、里見氏系城郭には小規模な石積みを伴うものが多いのでこれももしかすると・・・?

三郭には二郭よりもさらに規模の大きい横堀状遺構があります。二郭との間は斜面を削り落として急斜面を作り出しています。

同じく三郭の横堀状遺構、あるいは帯曲輪に土塁、とも解釈できますが、いずれにしても安房には珍しい構造で、房総で近似のものは上総の秋元城や武田氏系城郭の一部でしか見られないかと思います。 三郭の帯曲輪の先端は竪堀状に落ち込んでいるのですが、倒木の根っこが周りの土砂を巻き込んで崩落してしまい、もはや判然としない状態でした。
ここも整備したらもっと面白く見学できそうな場所です。

この頁の作成には千葉城郭研究会発行「図説房総の城郭」および、城郭会の遠山成一様より頂いた資料等を参考にさせて頂いております。貴重な資料と情報をご提供下さった遠山様にこの場を借りて御礼申し上げます。

 

 

交通アクセス

館山自動車道「鋸南富山」ICより車30分。バス等は不明。

周辺地情報

犬掛古戦場や滝田城が近い。時間があれば岡本城稲村城館山城など。

関連サイト

 

 
参考文献 「すべてわかる戦国大名里見氏の歴史」 ( 川名 登/図書刊行会)、「図説房総の城郭」(千葉城郭研究会/国書刊行会)、『平久里四城(富山・宿要害・蛇喰・里見番所)について』(松本勝・「千葉城郭研究第6号」収録/千葉城郭研究会)

参考サイト

余湖くんのホームページ

 

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