「口惜しや、我が子梅王丸へのこの仕打ち、亡き御屋方様の遺命をもないがしろにし、国を欲しいままに弄ぶ義頼め、この恨み、忘れまいぞ。わらわの死後は、悪鬼となってにっくき義頼めを呪い殺してくれるわ!」
蛇行する養老川の美しい渓谷。この一角にも、戦国時代の残酷な愛憎劇が演じられました。
近世に川の流れが変えられ、まるで空堀のような地形の養老川旧河道。かつては養老川の急流が館の周りを囲むように蛇行していました。その川に守られていたのは、里見氏の相続争いに敗れた嫡流の梅王丸とその母、そして妹の三人。いや、守られていたのではなく、幽閉されていた、と言った方が正しいでしょう。この川は外敵からの防御ではなく、館の中の人々を外界から隔てるための要害になっていたのです。
里見義弘の死後の家督争い、「梅王丸騒動」とも「天正の内乱」とも言われるこの争いは、義弘の遺命により上総を継いだ嫡子の梅王丸と、安房・下総を継いだ義弘の弟(庶子とも)の義頼の争いであると同時に、安房派と上総派の争いでもありました。義弘の死後、義頼を中心とした安房派は、焼香すら行わず、佐貫城を継いだ梅王丸との対決姿勢を露にします。しかし、結果は義頼の勝利に終わり、梅王丸と古河公方家に繋がるその生母、そして梅王丸の妹の三人は佐貫城を明け渡し、この養老川上流の、逃げるに逃げられない館に幽閉されます。のちに梅王丸は義頼の居城、岡本城に移され、助命の引き換えに強引に出家させられ、「淳泰」というもっともらしい入道号を名乗らされ、岡本城近くの聖山に幽閉されます。この、義頼の無体な仕打ちを知った母と妹は、嘆き悲しみながらこの琵琶首の館で死んでゆきました。
この対立により、千本城の東平安芸守を始めとした梅王丸派が蜂起しましたが結局、千本城、久留里城などは義頼の前に平定され、最後に離反した大多喜城の正木憲時も家中の寝返りにより暗殺され、義頼は上総、安房をほぼ完全制圧することに成功します。この時期、年来の宿敵であった北条氏とは和睦しており、外敵と闘う事の少なかった義頼ですが、やはり生粋の戦国大名・里見氏の血が流れていたようで、「天文の内乱」が里見氏の家勢を高めたように、この「梅王丸騒動」に端を発する内乱でも、里見氏は「焼け太り」することになります。
それにしても哀れを誘う梅王丸生母の母娘。古河公方家に繋がる高貴な身分であり(あるいは千本城主・東平安芸守の妹ともいわれるが)、梅王丸は父・義弘から鳳凰の印判も受け継いだ正統の嫡子。それがこの山間の侘しい館で、残酷な仕打ちを受けて死んでゆくことになろうとは。この美しい渓谷には、その凄まじいまでの怨嗟がいまでも、木霊しているようです。