放生橋に散る

水原城

すいばらじょう Suibara-Jo

別名:杉原城

新潟県北蒲原郡水原町外城町

(水原代官所)

城の種別 平城

築城時期

応永五(1398)年頃

築城者

水原(杉原)氏

主要城主

水原氏、細越氏

遺構

なし(水原代官所の復元表門他)

水原代官所の表門<<2003年05月04日>>

歴史

鎌倉幕府創立期に戦功のあった伊豆の大見家秀の子孫が白河荘地頭職に任ぜられ、城氏滅亡後の十二〜十三世紀に入部した。大見惣領家は白河荘の上条の大部分と山浦四ヶ条を領し、のちに下条水原の地を庶家の水原氏に分与した。南北朝の動乱を経て、応永五(1398)年に水原氏の次男に山浦四ヶ条を譲り、惣領家は安田氏を、水原の庶家は水原氏を名乗るようになった。

戦国期には水原氏は上杉謙信に仕え、正六(1578)年から八(1580)年にかけての御館の乱では景勝に味方した。天正九(1581)年、新発田城主・新発田因幡守重家、五十公野城主・五十公野道如斎が御館の乱での恩賞を不満として上杉景勝に対して挙兵(新発田重家の乱)、水原満家(杉原右近)は上杉景勝に味方したが、天正十三(1585)年九月二十五日(または十月四日)、新発田城の包囲を解いて退却する途上の放生橋附近で新発田重家らの追撃を受け、泥田の中で水原満家は殿軍として奮戦するが討ち取られ、水原城は新発田方の手に渡った。

天正十二(1584)年八月十八日、新発田方の細越将監が接収していた水原城を景勝方の藤田能登守ら八千が攻めた。細越将監は陣頭に立って敵を切り崩し、藤田能登守の右股を突き貫いたが、やがて寄せ手に囲まれ壮絶な討ち死にを遂げた。しかし水原城は落城せず、景勝は水原城の抑えに笹岡城番の酒井新左衛門を置いた。

天正十三(1585)年六月、景勝は笹岡城、雷城の丸田周防等に命じて水原城を攻めさせたが、城将の剣持市兵衛、梅津宗三らがよく防いだ。景勝は梅津宗三の身内の梅津伝兵衛に接触し内通を誘い、九月二日、伝兵衛は水原城に火を放ち、混乱の中で剣持市兵衛、梅津宗三は新発田城に退却して水原城は落城した。景勝は水原城に大関弥七を入れ、水原常陸介親憲と名乗らせた。

慶長三(1598)年の上杉景勝の会津移封で水原氏も同道し廃城となった。江戸中期の延享三(1746)年には水原城跡地に代官所が置かれ、慶応四(1868)年に会津藩預かりとなるまで続いた。

水原城の地、白河荘下条附近はかつて広大な湿地帯に面した平城でしたが、現在では市街地化が進んで、遺構らしい遺構は全くありません。わずかに平成七(1995)年に復元された「水原代官所」がその跡地であったことを語ってくれるのみです。見学の日は日も暮れかけた時間であり、その代官所もすでに閉まっていました。

歴代城主の水原氏(杉原氏)は安田城主・安田氏の庶家にあたります。どことなくお城の立地条件も似ている気がします。しかし、水原満家の時代、「新発田重家の乱」における放生橋合戦で満家は殿軍を務め、泥濘の中で必死に奮戦するも、ついに首級を挙げられてしまいます。事実上、水原氏はここに滅亡します。

しかし、景勝により、越中出身の大関弥七が水原の名跡を嗣ぐ事となり、水原常陸介親憲と名乗ります。この常陸介の時代には、宗家の安田城主・安田氏1232石に対し3414石を領し、下条には分家の下条采女1734石を独立させるなど、揚北では平林城主・色部氏に次ぐ第二の勢力となりました。この親憲はなかなか優れた武将であったようで、慶長五(1600)年の有名な長谷堂城合戦や、慶長十九(1614)年の大坂冬の陣でも、鉄砲隊を率いて活躍します。特に「冬の陣」では、今福において佐竹義宣隊が木村重成や後藤又兵衛らに苦戦するところを、鉄砲150挺を率いて救援に向かい、その戦功によって将軍・徳川秀忠から感状を賜っています。現在の水原代官所前には、江戸期に建立された水原常陸介を称える石碑が建っています。

そんなわけで水原城としての遺構は全くないのですが、近くの瓢湖は白鳥渡来地としても有名なことですし、何かのついでに瓢湖ともども、ぜひお立ち寄りを。

「水原城館」「水原代官所」の石碑と、復元された代官所の表門。中世水原城を偲ぶ遺構は残念ながらありません。

江戸期に建立された、水原常陸介の碑。何度か点々と移され、今は代官所の門の脇に佇んでいます。

代官所周辺の街並み。古い街並みも残っていますが、やはり市街地化による変貌が大きい。

白鳥渡来地として有名な瓢湖は、この地が新発田城主・溝口氏領だったときに、用水地、水害調整のために十三年の歳月を費やして作られた人造湖です。

 

交通アクセス

磐越自動車道「新津」ICまたは「安田」IC車20分。

JR羽越本線「水原」駅より徒歩10分。

周辺地情報 安田城の遺構がまずまず。水原満家が命を散らせた新発田城、会津の玄関口である津川城などがお奨め。
関連サイト 新発田重家の乱」の頁もご覧下さい。

 

参考文献 「菖蒲城物語」(角田夏夫/北方文化博物館)、「図説中世の越後」(大家健/野島出版)
参考サイト  

埋もれた古城 表紙 上へ