血染めの感状を受けた安田氏居城

安田城

やすだじょう Yasuda-Jo

別名:

新潟県北蒲原郡安田町保田

(総合センター周辺)

城の種別 平城

築城時期

鎌倉時代初期

築城者

安田氏

主要城主

安田氏、吉武氏、堀氏

遺構

曲輪、土塁、水堀

主郭周囲の水堀<<2003年05月04日>>

歴史

鎌倉幕府創立期に戦功のあった伊豆の大見家秀の子孫が白河荘地頭職に任ぜられ、城氏滅亡後の十二〜十三世紀に入部した。大見惣領家は白河荘の上条の大部分と山浦四ヶ条を領し、のちに下条水原の地を庶家の水原氏に分与した。南北朝の動乱を経て、応永五(1398)年に水原氏の次男に山浦四ヶ条を譲り、惣領家は安田氏を、水原の庶家は水原氏を名乗るようになった。

安田氏は守護代・長尾為景の時代から長尾氏に属し、安田長秀は永禄四年の川中島合戦で上杉謙信より血染めの感状を受けている。天正六(1578)年から八(1580)年にかけての御館の乱では景勝に味方した。天正九(1581)年、新発田城主・新発田因幡守重家、五十公野城主・五十公野道如斎が御館の乱での恩賞を不満として上杉景勝に対して挙兵(新発田重家の乱)、安田長秀は景勝に味方したが、陣中で病没した。

慶長三(1598)年、上杉景勝の会津移封に従い安田氏も同行し、安田城には村上城主・村上義明(頼勝)配下の吉武右近が入った。元和六(1620)年、堀直竒が村上城主となり、安田城には次男直時を三万石で任じ、独立藩となったが、阿賀野川によって領地が二分されるためと、強風による火災の発生の多いことから、直時の子直吉は正保元(1644)年、幕府に願い出て新たに村松城を築城し移り、安田城は廃城となった。

山間をゆったり流れてきた大河・阿賀野川が広々とした平野に出るその場所に安田城はあります。西側は阿賀野川下流域の広大な氾濫原、会津街道と北国街道が交差する要衝の地でもありました。標高18mの安田城附近は直接的に阿賀野川の水害に悩まされることもなく、中世に於いては絶好の生産地でもあったでしょう。

戦国期に活躍した安田治部少輔長秀は、川中島合戦でも信玄のせがれ、義信を追い回して大活躍、「血染めの感状」を賜っています。天正三(1575)年の「上杉家軍役帳」では「安田新太郎」の名が見え、計148名の軍役を負っています。

安田城はその跡地に町の体育館や野球場などの総合施設が出来たこともあり、あまり期待せずに行ってみたのですが、それに反して遺構はなかなかよく残っていました。主郭は児童公園となり、教習所っぽい信号やら横断歩道やらが設置されていますが、方形の形はよく残り、周囲の水堀も風情があります。一部には櫓台状の土塁も見られました。おそらくここも、方形の居館から平城へと進化していったお城なのでしょう。その外側の二郭には前述の体育館などが建ち並んでいますが、西から南へかけての堀跡や、かつての堀であった沼などが良好に残っていました。さらに農業用水である阿賀野川右岸水路の対岸には、東側の曲輪とそれを取り巻く外堀が農地となってよく残っています。市街地化ですっかり・・・なんて思っていましたが、これくらい残っていればまずまず合格点です。もっとも、安田城は近世に堀氏が二十八年間在城していたので、必ずしも安田氏時代の遺構であるとは限りませんが。

田園地帯に浮かぶド平城の安田城。この広々した田んぼもかつての河道の跡です。

安田城周辺はさまざまな町営施設が建っていますが、こうして案内板を見るだけでも、「お城だ!」ってことが一目瞭然です。

この野球場もかつての湿地跡。

施設が建っているのは主に二郭。「コミュニテーセンター(爆)城のうち」、なんてのもあります。

主郭の周囲には綺麗に水堀が残っていました。期待していなかった自分を素直に反省したいと思います。

体育館のある側の堀。護岸されてしまうと、イマイチ風情に欠けますね。。。

主郭内部は、教習所を模した児童公園に。

主郭の西北端には、わずかながら櫓台状の土塁が残ります。土塁は多分、ここだけです。

桃の花なんか入れたりして、ちょっとわざとらしい写真(笑)。夢中で写真を撮るソレガシに、堀の中からこんな戒めが・・・。

二郭周囲をめぐっていた堀の名残である沼。こうした地形が意外なほどよく残っているんです。

二郭の西側に伸びる堀跡から沼方面を。

二郭の西南の堀は用水路や畑になっていますが、一段低い地形は明らか。写真でははっきりしませんが、目で見ると歴然としています。

用水路を挟んだ東側、東曲輪とその外堀が。この外堀、実に素晴らしく良く雰囲気を残しているではありませんか!

まるで田んぼのような(っつうか田んぼそのもの)泥田堀。余湖さんも書いてたけど、泥の中でもがき回っているうちに討ち取られてしまうのは切ないものがある。。。

 

交通アクセス

磐越自動車道「安田」IC車15分。

JR磐越西線「五泉」駅よりバス。

周辺地情報 安田長秀が命を散らせた新発田城、会津の玄関口である津川城などがお奨め。
関連サイト 新発田重家の乱」の頁もご覧下さい。

 

参考文献 「菖蒲城物語」(角田夏夫/北方文化博物館)、「図説中世の越後」(大家健/野島出版)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、「上杉謙信と春日山城」(花ヶ前盛明/新人物往来社)
参考サイト  

埋もれた古城 表紙 上へ