攻城日記

<<信濃城攻め紀行:3日目>>

僕の勤務先の某社では、勤続10年で「長期勤続者特別休暇」(7日間、軍資金付き)が貰えるのです!こんな会社でも10年も働いてればいいことあるんだね〜。で、念願の信濃への城廻りの旅に行ってきました。ここではその模様を簡単にご紹介します。3日目は六文銭はためく真田の郷へ。行く前からすでに感動している自分。
見学先 戸石城真田氏居館松尾古城真田本城信綱寺、岩屋観音堂
見学日 2002年11月05日(火)

 

08:20 上田の本陣発。今日は宿願の真田の郷めぐり。心配された天気もまあまあで安心。どこから行こうか・・・まずは戸石城だ。
08:40

戸石城(戸石城、本城、枡形城+米山城)(長野県上田市)
信玄が村上義清に大敗を喫した「戸石崩れ」の地。「戸石城」「本城」「枡形城」と「米山城」からなる雄大な複合城郭群。

多くの人が訪れるらしく道もきれいに整備されていた。とにかく規模の大きい山城。登城ルートも複数あるみたいだが、ここは「内小屋」経由で「大手道」から「水の手」を見て「本城」付近に到達する王道を採る。城主、あるいは城代が居住していた「内小屋」は三方を尾根に囲まれた谷津状の地形で、「本城」をはじめとした山上の城砦群はこの谷を守るための要害だ。畑の中に空堀が残っている。よく見ると所々に当時のものと見られる石積みもある。「本城」側の斜面には大きな竪堀も見えている。水の手はやや分かりにくいところにあるが、今でも水が湧いている姿を見て嬉しくなる。

やがて20分ほどで雄大な「本城」の下に出るが、ここは一度素通りして「枡形城」に向かう。「枡形城」は戸石城群の最高所にあり、真田の郷が一望に見渡せる。名前の由来になった枡形や、堀切もよく残っている。ふと斜面の下を見ると、ニホンカモシカがこちらを見つめていた。

 

尾根伝いを「本城」へ。やはり「本城」付近の削平地の大きさはなんといっても迫力がある。堀切や土塁、部分的に石積み遺構なども見られる。

「本城」から馬場だったといわれる緩やかな尾根を伝って「戸石城」へ。ここにも堀切や若干の石積みがある。ここからは上田平が一望に見渡せる。

ちょっと離れている「米山城」は急な道を一度下がってまた登るため結構大変だった(とくに帰り道)。途中の細い尾根は馬場だったというが、「こんな狭い尾根で?」と疑問に思わなくもない。「米山城」には若干の石積みと数段の削平地がある。ここも眺望は良い。戸石城とは別の城郭として扱われることもある。

雄大な戸石城群を見終わるともうお昼時だった。ちょっと天候が怪しくなる。

12:30

 

 

真田氏居館(長野県小県郡真田町)

通称「お屋敷」。戸石城の後、松尾古城に向かう予定だったが天候急変、小雪が舞い始めたので天候回復までお屋敷見学。変形方形の居館で土塁や虎口の跡、厩屋の跡がよく残る。

内部は公園になっていて、「マレットゴルフ場」になっている。「真田氏歴史館」にも行ってみたがなんと休館日!残念。「おはぎ」食べたかったのに〜。しょうがないのでお昼はコンビニで我慢する。天候が回復してきた。さあ、松尾古城に向うぞ!

 

13:20

 

 

松尾古城(長野県小県郡真田町)

真田の郷の奥に聳える高峰。登山口が事前にわからず不安なまま向かうが、真田幸隆以前の真田氏墓所と伝わる「日向畑遺跡」付近から谷沿いに若干下ると尾根筋に道がある。危険な箇所には巻き道(迂回路)まで設けてあった。峻険な尾根道と闘うこと20分強、尾根筋を閉塞するように険しい山上におびただしい石塁が横たわる。石塁は高いところで3mほどもあり、急峻な斜面に向けて威嚇するように聳える姿は大迫力。素晴らしい。主郭もおびただしい石塁で覆われている。背後には巨大な堀切が横たわる。真田の郷の背後を押さえると同時に、角間渓谷沿いに菅平、鳥居峠方面の交通を監視し、また真田の忍びの者にとっては基地のような場所でもあったのだろう。とにかく急峻な尾根道と闘う価値は十分ある。超おすすめ。なお尾根続きに比高差160mほどを登ると「遠見番所」があるが、さすがに体力も時間もなく、また小雪が舞い始めたので急いで下山する。

14:50

 

真田本城(長野県小県郡真田町)

真田氏の本拠。真田の郷の真中に突き出ている丘陵上にある。要害性よりも、その立地からは、盆地状の真田の郷を見渡し、戦闘を指揮するための「艦橋」のような場所であっただろうと思う。足許に「艦長室」に相当する「お屋敷」があり、その先には真田の郷の前衛、「主砲」にあたる戸石城の攻撃的な姿が聳える。背後には松尾古城と遠見番所が「後部艦橋」「電探」を担当し、真田の郷全体に「副砲」「高角砲」「機銃座」に該当する小規模な城砦群が配置されている。さながら真田の郷全体が戦う「戦艦」のようでもある。

本城の主郭から三郭まではとくに堀切等もなく、意外にシンプルなお城。きれいに整備されており眺めも良い。

15:40 信綱寺(長野県小県郡真田町)

城ではないが真田氏ゆかりの場所。
信綱寺は真田幸隆の嫡男、信綱創建と伝わる。立派な山門(黒門)をくぐり抜けて寺に向う。真田幸隆はその知謀から信玄の全幅の信頼を得て、深慮遠謀の挙句、父祖伝来の真田の郷を奪還した。

その子信綱、昌輝兄弟は将来を嘱望されながらも信玄の死後、長篠の合戦に散った。兄ふたりを失って真田家を嗣いだのがあの「表裏比興」と呼ばれ、徳川の大軍を二度蹴散らした男、真田昌幸だ。信綱寺の背後の丘陵上には信綱、昌輝ふたりの墓所がある。

16:30

角間渓谷、岩屋観音堂(長野県小県郡真田町)


岩屋観音堂は真田忍者の修行の地と伝わる。山深い角間渓谷の奥、角間温泉はテレビで見る「秘境の湯」みたいな場所。巨岩奇岩の絶壁が聳える。観音堂へは長い階段を登る。今日は昇り降りの多い1日だ。薄暗くなった空の下、絶壁に穿たれた観音堂を見ると、真田忍者が修行した、といわれるのも頷ける気がしてくる。

 

17:30 さっき見た、真田本城にもう一度向う。真田の郷の夕暮れを見るためだ。山の向こうに陽が沈み、黒々と戸石城が横たわっている。遠く上田の街には灯りが燈っていた。温泉でも入ろうと思い、「真田ふれあい館」に向う。が、様子がおかしい。電気が点いていない。よく見ると「ゲッ休業日!」。
19:30 上田の本陣着。結局丸1日、半径3kmくらいの範囲をちょこまか動いていた。。。そういえば、どこに行っても誰にも会わなかったなあ。。。いくつか時間切れで見れなかったところもあるが、明日も上田界隈を廻るつもりだから、そのときに見ることにしよう。上田二日目の夜は更けてゆく。

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