攻城日記
<<信濃城攻め紀行:2日目>>
僕の勤務先の某社では、勤続10年で「長期勤続者特別休暇」(7日間、軍資金付き)が貰えるのです!こんな会社でも10年も働いてればいいことあるんだね〜。で、念願の信濃への城廻りの旅に行ってきました。ここではその模様を簡単にご紹介します。2日目はいよいよ念願の信濃国のお城めぐり、記念すべき第一弾は若き武田晴信初陣の海ノ口城と、佐久周辺に。 |
07:40 | 上田の本陣発。寒いけれど体も慣れているので気にならない。むしろ心地好い。心配された天気も大丈夫そうだ。記念すべき信濃第一弾の城はちょっと遠いが海ノ口城に定め、上田菅平ICから上信越道へ。佐久からは千曲川沿いに佐久甲州往還を南下する。 | |
08:40 | 海ノ口城(長野県南佐久郡南牧村) 初陣の武田太郎晴信が奇襲により平賀源心入道を討ち取ったという記念の地。場所がわかるかどうか不安だったがあっさり登城口に到着。林道の途中から比高差250mを歩く。途中「ここから50分」の表示もあるが、健脚な男性なら30分はかからないだろう。 城はとても小さく、居城というよりは砦といった趣だった。足下で踏み締める柔らかな落ち葉の感触、冷たい風に舞い上がる枯葉が心地好かった。若き晴信の初陣を想いながら、風にざわめく木立を見上げた。標高1357mの山頂付近では青空なのに小雪が舞っていた。 |
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11:15
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内山城(長野県佐久市) 関東との境目を守る重要な城。信玄も佐久平定では何度も拠点にしている。比高差は90mほどだが見るからに峻嶮な地形は期待度もアップする。山の形がいい。名城は形からして何か違う。登りは距離は短いがかなり厳しい。 山頂付近は巨石がゴロゴロしていて、ところどころ石積み遺構が見られた。規模そのものは小さく、これも居住のための城というよりは交通監視の砦、戦時要塞という趣だった。周囲の断崖絶壁は凄まじく迫力がある。帰りは水の手方面を下りたが道無き道で結局山腹を藪こぎしながら麓に生還。 |
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12:50
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平賀城(長野県佐久市)
平賀氏の居城と伝わる。内山城とは川を隔てて指呼の間。 さんざん登り口を捜してやっと発見。比高差は130mほどあり、規模の大きい山城でもあるので行くかどうしようか迷ったが、登り始めてみると登城路は以外に緩やかで歩きやすい。20分ほどで三郭に達した。主郭からは佐久平が見晴らせる。主要な曲輪は十分に広く、内山城に比べて居住の色の濃い城郭だった。石積み遺構が充実していることと、緩やかな山腹を補うように「これでもか」というくらいに廻らされた腰曲輪が印象的。 |
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14:50
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志賀城(長野県佐久市) 信玄が佐久平定を目前にして梃子摺った笠原新三郎清繁の城。後詰の上杉憲政軍をコテンパンに破って、討ち取った生首三千を城の周囲に並べて城兵の士気を削ぎ、捉えられた捕虜は男子は金山坑夫、女子は娼婦として売り飛ばしたという。信玄の佐久平定戦の過酷さを示すエピソードで有名。雲興寺背後から急坂を約20分で尾根筋の曲輪に出る。整備は全くされておらず、矢竹が覆い茂る、なんともうら寂しい城であった。石積みの他、天然の絶壁を利用した防御は迫力があった。城下の田んぼの中に、城将・笠原新三郎の首塚が佇んでいる。近所のおばあさんが言っていた。「ここは見学に来る方がとっても多いんですよ。アンタどこから?へぇ〜千葉!」 |
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16:30 |
伴野氏館(長野県佐久市) 野沢城とも言う。平城、というか方形の居館跡である。山城四連発の後のデザートである。佐久の在地土豪、伴野氏の居館跡。公園であった場所に公民館が建ち、今また公民館を壊して発掘、公園化を進めているという。やれやれという感じ。でもおかげで発掘のピット内部などが見れた。方形の居館の北半分だけ土塁が残っている。周囲の水路は堀跡か。方形居館から平城へ進化した城だが、周囲の市街地化が激しく、この主郭部土塁以外の遺構は全くない。 |
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18:30 | 上田の本陣着。山城四連発は少々きつかったが、思ったより険しい場所がなくてちょっと安心。明日は待望の真田へ!ワクワク。 |