角間渓谷入り口に聳える「石の砦」

松尾古城

まつおこじょう Matsuo-Kojo

別名:松尾城

長野県小県郡真田町横沢

城の種別

山城

築城時期

不明 

築城者

真田氏(?)

主要城主

真田氏

遺構

曲輪、石積み、堀切

尾根道を閉塞する石塁<<2002年11月05日>>

歴史

築城時期や築城者、歴史的経緯は定かではない。天文十(1541)年の海野平合戦で小県を追われた真田幸隆が天文二十(1551)年、戸石城乗っ取りの戦功により小県周辺の旧領を回復したが、この幸隆より以前の前真田氏によって築かれたとの見方があるが、必ずしも裏づけはなく、構造面からはむしろ比較的新しい時代の築城であるとの説もある。真田幸隆の時代以降は真田郷の詰の城、街道監視などの役目を負っていたものと思われる。

実は密かに大きな期待を掛けていたこの松尾古城。地形が険しく、行く前に登山口や登山路があるのかどうかもわからず、天候にも不安を抱えたままの出発でしたが、結果から言えば大正解、大満足の山城でした。

立地的には真田盆地の最も北側、盆地の最奥部にあたり、眼下には角間渓谷越えの鳥居峠方面への道(現在は通り抜け出来ない)、菅平経由の川中島への街道、また前面には地蔵峠越えの松代への道も近く、交通を押さえる要所です。松尾古城のさらに峰続きには「遠見番所」があり、同時に真田郷全体の監視所や烽火台などの役割も持っていたでしょう。真田郷全体の「詰の城」という性格もあったかもしれません。

何よりもその急峻な尾根に築かれたおびただしい石塁群を見ると、「もしかして真田忍者の城?」なんていう想像が湧いてきて、ちょっと楽しくなります。この石塁は真田郷の他の城郭には見られないほど充実しており、狭く急峻な尾根筋を閉塞し、威嚇するように立ちはだかる姿は圧倒的な迫力があります。石塁は平べったい割り石を用いた「牛蒡積み」という手法で、西国などで見られる野面積みや近世城郭に多い打ち込みハギ、切り込みハギなどの整った石垣とは全く様相を異にするものです。これに近いものは信濃では比較的メジャーな手法であるようで、規模はこの松尾古城ほどではないにしても、他の城郭でも見られる手法でした。しかしこの松尾古城は石塁の規模、高さ(高いところで3mほどある)、状態のよさでは出色モノで、特に前述の尾根閉塞用の石塁(五郭に相当)や、三角形の主郭のほとんどを囲む石塁などは鳥肌モノです。まさに「石の砦」ですね。どうしてもこの「石の砦」が「真田忍者」と重なってしまうのは僕だけでしょうか?また、主郭背後の巨大な堀切、それに繋がる竪堀も出色です。

古い絵図には横沢方面からの大手道が描かれているとのことで、アプローチする道は他にもあるかもしれませんが、僕が通ったルートは「日向畑遺跡」付近から沢沿いにやや下流に下り、突き出した尾根道を一気に直登というルート。途中で神社などがありますが、その奥は岩場だらけでちょっと不安になります。しかし危険と思われる場所には巻道(迂回路)がきちんと整備されていました。ありがたいこってす。とはいえかなり急峻な尾根道を文字通りゼエゼエしながら登ること約20分、木立の陰からなんとも異様な石塁が姿を現すはずです。主郭にはさらに10分ほど尾根道と格闘します。このころには疲れもぶっ飛んでるでしょう。これを見るために、急峻な山道と闘う価値は充分にあります!

歴史的にはイマイチ不明で、幸隆以前の前真田氏の築城、本城であったのでは?とも言われるようですが、規模は大きいものの長期の籠城、居住に適しているようには見えません。真田本城のことを松尾城ということもあるので、結構ややこしいです。「松尾古城」なんていう名前ではありますが、真田本城と比べて必ずしも「古城」なのかどうかも疑問で、むしろ石塁などをはじめとした技法からは、もっと新しい時代のものであるとも比定されます。まあ、この謎に満ちたあたりが「真田忍者の城?」なんていう妄想を膨らませるモトにっているんですが。

なお、遠見番所は行こうかどうしようか迷いましたが、主郭からさらに160mもの比高差があることを考え、時間と体力の制約、小雪が舞う気象条件から断念しました。遠見番所はまた機会があったらチャレンジしてみたいと思います。

真田本城から見る松尾古城の遠景。鉄塔の建つさらに上のピークが遠見番所。松尾古城の主郭はそのちょっと下のピークです。 日向畑遺跡付近の山麓から見上げる。高いし急峻だなあ。手前の峰のピークが松尾古城です。遠見番所はどうしようかな。。。
幸隆以前の前真田氏の墳墓と推定される日向畑遺跡。一説には侵略者の蹂躙を恐れて、再起を誓った幸隆が埋めたとか。 さて尾根道。岩だらけです。途中に祠があり、ここで山の安全を祈願。
こんなゴツゴツした岩が続きます。通れることは通れますが、危険な場所にはちゃんと巻道が。ここで怪我するのは得策じゃないので素直に巻道へ。 巻道から見ると、小規模な石塁が見えます。単なる岩場じゃなくて、小規模な曲輪でもあるのでしょう。
巻道があるとはいえ、この尾根道はマジできつい。ふと見上げると、石塁が見える!ここで一息入れて、いよいよ石塁群へ! 鳥肌。狭い尾根の横幅いっぱいに広がる石塁。この瞬間に疲れを忘れる自分。
この石塁は凄い。急斜面の上から覆いかぶさってくるような威圧感がある。ここは五郭に相当する曲輪でもあります。 この石塁の真ん中には、石段の虎口があります。なんとなく戦国期のものというよりも、近現代の要塞、塹壕を思い起こします。
その石塁の角、一段と高く詰まれた石塁は異様なほどの存在感がある。 これは四郭に相当する曲輪の石塁。先ほどの石塁よりもさらに高さがあります。
ここは二郭、「馬場」とも言われますが、ここにどうやって馬を登らせるのか・・・。 二郭から主郭まではさらにちょっと離れています。いよいよ主郭、な、なんだこの石塁の凄さは!
主郭はほぼ完全に石塁で囲まれていました。とにかくスゴイ、スゴイのひとこと。左に同じ。スゴすぎる!
主郭の石塁を曲輪の中から。「武者走り」ともちょっと違うし、なんと表現したらいいものやら。なぜここまでやる!?と想わなくもありません。

主郭はちょっといびつな三角形。残念なことに眺望はほとんどなし。角間渓谷とかが見えるといいんだけどなあ。

この主郭石塁の微妙なバランス。ちょっと押したら崩れてしまいそう。右端の石なんて、飛び出しちゃってますからね。危ないから上には乗らない方がいいと思います。

よく残って入るものの、やはり年月の流れを感じる崩落した石塁。でも、地震や風雪に耐えてここまで残ってくれたことは素晴らしいです。

大興奮に追い討ちを掛ける、主郭背後の巨大な堀切。

主郭堀切は定石どおり、山腹を竪堀となって降りてゆきます。

さあ遠見番所の尾根へ。と想ったんですが、時間と体力の限界で断念。小雪もちらついてきたし。。。

ちょっとだけ見える角間の集落。この奥の、角間渓谷、岩屋観音堂などもスゴかったです。

尾根の先端の神社付近から、真田本城を見る。

 

 

交通アクセス

上信越自動車道「上田菅平」ICより車20分。

長野新幹線・しなの鉄道・上田交通「上田」駅から登山口までバス(?)  

周辺地情報

真田町内の真田本城お屋敷などの城館や、信綱寺、長谷寺などの真田氏ゆかりの場所など。周囲の峰には戸石城をはじめ山城だらけなので、ご興味と体力があれば全部廻ってみてください。

関連サイト

攻城日記の頁、「信濃城攻め紀行」もぜひご覧下さい。

 
参考文献 「真田戦記」(学研「戦国群像シリーズ」)、別冊歴史読本「戦国・江戸 真田一族」(新人物往来社)、「日本城郭大系」(新人物往来社)、真田町観光課提供資料

参考サイト

上田・小県の城

 

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