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箒川の対岸から見た沢村城。周囲はまさに断崖絶壁、川の水量も多く、この方面から攻め寄せるのは不可能ですね。 |
反対側の観音寺方面から見た沢村城。こんもりした、何の変哲も無い丘に見えますが、実は素晴らしい遺構が眠っているのです。 |
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観音寺から沢伝いに登った堀1。ここはもともとの天然地形を加工して大規模な堀切にしているようです。写真左手にはX曲輪(北曲輪)がありますが、こっちはかなりのヤブです。 |
主郭の塁壁の下をめぐる堀2。北端部分では堀1と並んで二重の大堀切になっています。素晴らしい! |
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同じく横堀となって伸びる堀2。T曲輪側の切岸は10m近くもあるでしょう。 |
反対側から見た堀2。塁線が微妙にカクカクと折れ曲がっているのがわかるでしょうか。 |
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堀2を越える土橋。これは改変ではなく、もともとのものでしょう。 |
土橋を渡ると主郭へ向かう坂虎口になります。上には低い土塁があり、一応頭上攻撃を意図したものと思われます。 |
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主郭の高〜い土塁。写真の部分は櫓台と思われるひときわ高く重厚な部分。うむむ、素晴らしすぎる! |
土塁上から見た主郭。周囲は土塁でほぼ囲まれています。それにしても、手入れが行き届いた山林というのは気持ちいいですね! |
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主郭とU曲輪を隔てる堀切3。まさに、めくるめくばかりの空堀とはこのことだ。 |
その堀切3の西端。横堀との接合部分は大きな横矢が掛けられています。 |
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堀切3の堀底から。まるで谷!といいたいのですが、写真ではその迫力の二万五千分の一くらいしか伝えられないところが残念! |
U曲輪辺りから見る箒川対岸。このあたりは天正十三(1585)年、宇都宮・塩谷連合軍と那須氏が激戦を繰り広げた、薄葉ヶ原になります。 |
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U曲輪は北側にのみ土塁があります。V曲輪あたりまで行くとかなり削平も適当になってしまうので、このあたりまでが主要部と考えていいでしょう。 |
U曲輪西側の横堀。T曲輪の堀と繋がっていますが、U曲輪あたりではかなり小規模なものになっています。 |
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堀2は竪堀というか、斜めの堀となって台地下に伸びています。このあたりは通路としても用いられていたんでしょうか。 |
V曲輪の南の堀5、一応向こう側にも土塁はありますが、削平や切岸が施された形跡は無く、まずここまでが城域と考えられます。 |
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観音寺脇からすでに見えている下段の横堀6。このあたりは横堀が二重になっているのですな。 |
その横堀6、途中に台地下に繋がる開口部と、W曲輪に繋がる道があります。ここも堀底通路として用いられていたのでしょうか。 |
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温泉神社南側の斜めに延びる堀。やはりこのお城は堀底が通路もかねていたように思える。 |
温泉神社手前には一段低い田畑があり、水堀の痕と思われます。 |