非常に整備された公園になっています。ここから見る榛名山、妙義山は最高です。
華々しい歴史には登場しない城です。現地の解説板では「天正十年に滝川一益配下の松井田城代・津田小平次が新田信純を討った」ことになっていますし、「日本城郭大系」(新人物往来社)では北条氏に従い小田原の役で滅びたことになっています。よくわかりませんが、中山道を監視する城として、安中城や松井田城とともに、箕輪城の支城として機能していたのではないでしょうか。あるいは、新田氏が武田に与したことを考えれば、武田氏の上州侵攻にあたっての拠点、特に倉賀野城や箕輪城攻め、あるいは武田勝頼の東上州侵攻の拠点の一つであったとも考えられます。
全然下調べなしに行ったのですが、ほぼ完全に整備されている上、階段状の曲輪や曲輪を大きく分断する堀切、とくに北曲輪周辺の三重の堀切などはなかなか見ごたえがあります。解説板もしっかりしているし、駐車場完備だし、景色はいいし、満足度大でした。藪こぎばかりしている僕にとってはオアシスのような城ですね。