名族・千葉氏が亥鼻城から本佐倉城に移った後も、元服式は千葉妙見宮で行っており、その際の宿舎に充てられていたのがこの高品城です。
言うまでもなく元服とは、男子の成人の儀式で、無理やり現代風に言えば成人式にあたるわけです。このときに、烏帽子親から元服名、「千葉介○胤」の名を与えられるわけです。あたりまえですが今時の不心得な若者と違って、酒を呑んで暴れる、烏帽子親に絡む、奇声を発して式を妨害する、同級生とダベりに会場から抜け出す、などの行為は行うはずがありません。元服はだいたい15歳前後で行うのが普通で、今時のばかも・・・いやもとい若者より5歳も若いにも関わらず、きちんと礼儀正しくこなしていたことでしょう。何百年も前の十五歳ができていたことが、なんで現代の二十歳のオトナができんのじゃ!などと思ってしまう自分はすでに社会的に見たら十分にオッサンなのでしょう。。。
肝心の城は、発掘調査などは行われたようですが、基本的に遺構と呼べるようなものは表面的にはほとんどなく、ほとんどが宅地や畑になっています。周囲の丘陵を取り込んで、自然地形を生かして広々した曲輪どりを行うのは千葉氏系城郭に多い特徴で、この高品城も要害というには疑問があるものの、起伏のある丘陵地帯と入り組んだ谷津をたくみに利用して築かれた、それなりに壮大な城だったでしょう。その地形的な特徴は伺えますが、鉄道やマンションによってその地形そのものも大分変わってしまったようです。