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城下、夷隅川より見上げる大多喜城の丘。中央付近に模擬御三階櫓が見える。 |
天然の外堀、夷隅川の深い谷。 |

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大多喜水道跡。最後の藩主松平正質が明治二(1870)年に着手し翌年完成した。 |
本丸付近にわずかに残る土塁。 |

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古絵図を元に復原されたという御三階櫓。しかし発掘調査では天守クラスの建物跡は発見されなかったとか。そういう意味では復原というより模擬でしょう。どこかの櫓に似てるし・・・ |
大多喜高校の敷地が当時の二ノ丸。敷地内には下の写真の井戸や薬医門が残る。 |

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大多喜高校敷地内に移築現存する城内の薬医門。 |
周囲10m、深さ20m、日本一の大井戸といわれる。今でも満々と水を湛える。 |

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いすみ鉄道大多喜駅の裏手にあたる大手門跡。わずかな土塁が残ります。 |
大手門近くの奥まった一角にある水堀跡。現在では水田になっている。 |

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真里谷武田氏築城の中世大多喜城跡と言われる大多喜根古谷城。遺構はありません。 |
小高い石垣上の台の上に根古谷城址の碑がありますが、ここは単なる館跡で、中世の城もやはり現在の丘の上にあったのでは? |

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真里谷武田氏築城の中世大多喜城跡と言われる大多喜根古谷城。遺構はありません。 |
小高い石垣上の台の上に根古谷城址の碑がありますが、ここは単なる館跡で、中世の城もやはり現在の丘の上にあったのでは? |

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真里谷武田氏築城の中世大多喜城跡と言われる大多喜根古谷城。遺構はありません。 |
小高い石垣上の台の上に根古谷城址の碑がありますが、ここは単なる館跡で、中世の城もやはり現在の丘の上にあったのでは? |

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真里谷武田氏築城の中世大多喜城跡と言われる大多喜根古谷城。遺構はありません。 |
小高い石垣上の台の上に根古谷城址の碑がありますが、ここは単なる館跡で、中世の城もやはり現在の丘の上にあったのでは? |

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真里谷武田氏築城の中世大多喜城跡と言われる大多喜根古谷城。遺構はありません。 |
小高い石垣上の台の上に根古谷城址の碑がありますが、ここは単なる館跡で、中世の城もやはり現在の丘の上にあったのでは? |

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真里谷武田氏築城の中世大多喜城跡と言われる大多喜根古谷城。遺構はありません。 |
小高い石垣上の台の上に根古谷城址の碑がありますが、ここは単なる館跡で、中世の城もやはり現在の丘の上にあったのでは? |