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すべてはここから始まった。村上城本丸埋門下の腰曲輪群。この腰曲輪自体が、村上城の、というより、中世本庄城の遺構なのでしょう。 |
さてその腰曲輪群を進むと、素晴らしい竪堀が。深さは3m、全長は100mにも及ぼうかという竪堀が藪も落ち葉もないスッパダカの状態で。素晴らし過ぎる! |
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前記の竪堀の横には不明瞭ながらももう一つの竪堀の可能性がある窪みが。連続竪堀だった、とか? |
上写真の竪堀を歩いて降りる。下から見上げてもスゴイ。 |
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竪堀に平行して竪土塁があり、これは山麓で屈曲して通常の横方向の土塁になります。 |
東南側の山麓には中世城館の形態を残す多くの曲輪群があり、息を呑みます。 |
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この土塁の切れ目が虎口。小さいながらも枡形構造をしています。明らかに近世に手を加えられていない、純然たる中世城郭遺構です。 |
ちょっとわかりにくいですが左写真の虎口を反対j方向から。左右は堀、中央の土橋を渡って左写真の土塁虎口に至ります。 |
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東南側曲輪群の最高位の曲輪下には浅いながらも横堀があり、曲輪の塁壁をさらに高いものにしています。 |
虎口の土橋から見た横堀と土塁。 |
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土橋の北側の堀は鋭い薬研の堀で、斜面を下って谷部に落ち込んでいきます。 |
左写真の堀の先は自然地形の谷部ですが、周囲を囲うように竪土塁があります。 |
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東側山麓は冬でもスネまで埋まる湿地帯。豊富な湧水や雪解け水によって、天然の水堀となっていたでしょう。 |
因幡神社参道附近の堀。本庄城の外郭に当たるのでしょう。前述の豊富な湧水によって小さな流れになっています。もともとの天然地形に手を加えたものでしょう。 |
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右上写真の外郭堀。最初は天然地形かとも思いましたが、高いところから見ると規則正しい折れを持っていることや、高い塁壁が存在することから、外郭の堀と判断しました。 |
こちらはやや北に離れた大山祇神社附近の削平地の虎口。削平地は広く高い場所にあるため城主居館とも比定されますが、この附近は近世村上城においても藩士屋敷などがおかれたため、断定はできません。 |
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城主居館比定地附近には「村上城址」のコンクリの碑が。植林地になって忘れ去られたかと思いましたが、ここもお城の一部であることをひそかに主張しているかのようです。 |
北側に張り出した峰の上が出丸。笹が茂る藪になっていて、城郭遺構らしきものは見当たりません。近世村上城時代には放棄されていたでしょう。 |
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近世三ノ丸から見下ろす東北側の竪堀。村上城の石垣修復用の資材運搬レールが敷設されています。 |
近世三ノ丸北西にも竪堀があります。こちらは明瞭です。これは近世の遺構というよりも、やはり中世本庄城の遺構と考える方が合理的でしょう。 |