村上城めぐり

新潟県内に残る城でも、これほどの規模の石垣が残る城は他にありません。というより、石垣の高さや古城らしい風情など、ソレガシがこれまで見た中でも五本の指に入る印象深さ。帰省のたびに何度も足を運び、毎回、違った景色や発見でソレガシを楽しませてくれます。まあ、母校の街の城、という贔屓目はありますけどね。

2003年05月01日、お城めぐりメーリングリストで知り合った雨順斎さん、やーたろーさんと三人で歩いてきました。新緑の中、佇む石垣が美しかったです。本丸は我が母校、村上高校の三年生の遠足部隊ですっかり占領されておりました。頑張れ後輩たち、明日の「お城めぐりFAN」は君たちだ!でもチミら、勉強もせぇよ・・・。本庄城時代の東側遺構群もスゴイですよ

三面川にかかる下渡橋から見る村上城の山、臥牛山、通称「お城山」。どこから見ても絵になる村上城でも、ワシゃこの場所からの形が一番好きじゃ!傾きかけた陽に輝いて、石垣もはっきりと見えるぞい。 こちらは南側の本丸寄りの近景。城下町の風情の残る村上市街地も、新しい道路や建物ができて徐々にその姿を変えつつあります。
二之町付近に残る下渡門跡。城下に残る殆ど唯一の明瞭な遺構です。最近新しい看板が建てられたみたいで、復元イラストなどもありました。 下渡門から見た堀跡。奥の方は変電所になっています。かつて父が山麓の林業試験場(旧城主居館)に勤務していたときは、深さ10m以上の堀が居館を取り巻くように残っていた、という事です。正面の山上は三ノ丸。
山麓の登山道入り口付近、江戸期の城主館跡。三層の櫓や二層の櫓三基があった。館というよりは城そのものか。ここはかつて我が父が勤めた新潟県林業試験場の跡地でもあります。 城主館入り口、一文字門の石垣。本来は二重の枡形門で、往時は深い堀と跳ね橋があったそうです。周囲の堀の殆どは農地や住宅地、道路になってしまいました。
手元の概念図に、登山路脇に竪堀が描いている。はてこんなところに竪堀などあったかのう?と路を逸れてみると、見事な竪堀がありました。が写真じゃさっぱりわかりませんね。。。。 急坂を10分ほど登ると見えてくる四ツ御門。三ノ丸虎口にあたります。最近積み直されて、ちょっと綺麗になってしまいました。
四ツ御門は、居館側、三ノ丸側、二ノ丸側、井戸への道と、なんと四つの門を持つ特異な建物だったらしいです。門の中の空間がどうなっていたのか、興味津々です。付近には礎石がいくつか、顔を出しています。

四ツ御門から御鐘門にかけては、勾配を駆け上る「昇り石垣」が見られたのですが、崩落防止の工事ですっかり様変わりし、花壇のようなものまで。。。まあ、危険防止のためですから、仕方ないですね。 三ノ丸跡。石垣修復工事も一段落し、立ち入りできるようになりました。村上城の曲輪で一番の広さです。竪堀もあり、見落としがちですがぜひ立ち寄ってほしい曲輪です。
三ノ丸玉櫓附近の塁線はまるで稜保式城郭を思わせる直線的で幾何学的なもの。 玉櫓下の腰曲輪から見た北東方面へ降りる竪堀。見事です。以前竪堀だと思っていた石材運搬モノレールの軌道は、竪堀ではないらしい。
ほとんど誰も注目しない三ノ丸籾櫓附近の石垣。このあたりは後世に手が入っていないため、古色蒼然とした石垣が堪能できます。 籾櫓下の長大竪堀も、ちょっとばかり草木に埋もれてしまった。やっぱり竪堀は冬に、サンマは目黒に限る!
こちらは二の丸虎口、御鐘門の虎口跡の石垣。鐘櫓があったのかな?しっかりした桝形虎口が堅固な印象を与えます。 御鐘門附近から、東の鉄砲倉と手前の東門を見る。東門はすっかり草木に覆われ、石垣門であることも見分けづらい。
最大の見所は、出櫓〜黒門〜本丸天守台にかけての高石垣でしょう。急斜面にせり出してくる石垣は、戦艦のような迫力があります。観光ガイドなどにもよく使われるアングルですね。 黒門附近の高石垣。草や苔が貼りついて、いい感じです。黒門は並門ともいい、登城用、下城用の二つの門が並んでいたとか。高速道路の料金所みたいな構造だなあ。。。一体何のために??
埋門。かつては門の下には獣道しかなかったのに、「中世散策コース」として整備され、東側の小曲輪群や竪堀などが見学しやすくなりました。こちらは本庄城の頁で紹介してます。それにしても、誰でも見れるというのは嬉しいような、ちょっと寂しいような・・・。 本丸冠木門。本丸を守る最後の門です。ここでは、外桝型と内枡形を組み合わせた、コの字の虎口になっており、最後の防御地点の固さを感じさせます。
同じく冠木門の枡形を内側から。 どこを写真に撮っても絵になる村上城の中でも、無理やりベストワンを挙げればこの横矢と城下町の組み合わせかなぁ。日本海の青い海も美しいです。

見よこの石垣の高さ、まんなかに人が歩いてるのと比べてください。高いところが苦手な人はブルっときてしまうかも。

高いところが平気なのは煙と○○だけ。で、○○なソレガシは足許の扇の勾配を覗き込んだりする。おお、ほとんど垂直じゃないか!!

天守台の石垣。三層の白亜の天守が上がっていました。天守は落雷で焼失し、今は「舞鶴城址」の碑だけが建っています。 天守台下の帯曲輪から見る。この角度も捨てがたい。若い蔓が石垣に巻きついて、夏には石垣が見えなくなるくらい密生します。

我が母校の町、村上の街と、三面川河口、日本海までを俯瞰するパノラマ写真。正面が謙信が着陣したといわれる下渡城。空気が澄んでいるときは、日本海に浮かぶ粟島、佐渡島なども見えます。

東側に突出した出丸状の曲輪が通称鉄砲倉。その名の通りの建物があったのでしょう。 鉄砲倉には大きな土塁があります。石垣であるように描かれている図もありますが、そこらへんの草木を掃ってみた限りでは、石垣ではないようです。

東側への通路となる坂中門の石垣もすっかり草木に覆われています。

石垣で囲まれた箱型の井戸。井戸、というより豊富な湧水を溜める湛水施設でしょうね。冬には澄んでいた水もちょっと今では飲んでみようと言う気にはなれませんな。

東の山麓に近い田口中門。このさらに下には田口門があるといいます。大きな桝形ですが、湧水が多くすっかりぬかるみに・・・。 わずかに顔をのぞかせる、田口中門の苔生した石垣。標柱も倒れていますが、門そのものはしっかり残っています。

「中世散策コース」ができてすっかり見学しやすくなった東側斜面。こちらの遺構については本庄城の頁で紹介しています。なお、やーたろー殿が素晴らしい散策図を描いています。ぜひこちらもご覧あれ!

本庄城  村上城の雪化粧(1)  村上城の雪化粧(2)

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