池の底には何が・・・?

石神井城

しゃくじいじょう Shakujii-Jo

別名:

 

東京都練馬区上石神井

(石神井公園周辺)

城の種別

平山城(丘城)

築城時期

不明    

築城者

豊嶋氏

主要城主

豊嶋氏

遺構

曲輪、土塁、空堀

雨に煙る三宝寺池と石神井城<<2003年11月03日>>

歴史

築城時期は定かではないが、平安後期から鎌倉時代にかけて、武蔵南部に力を及ぼしていた豊嶋氏の関連城館であった。文明八(1476)年、長尾景春が武蔵鉢形城で関東管領上杉氏に対して挙兵(長尾景春の乱)すると、それに呼応して豊嶋氏は文明九(1477)年、練馬城・石神井城などで挙兵、当時扇谷上杉氏の家宰として名を馳せていた太田道灌の居城・江戸城と扇谷上杉氏の居城・川越城を分断した。道灌は江戸城の守備を固めると四月十三日、豊島泰明の平塚城を攻めた。豊島泰経は石神井城・練馬城から援兵を出したが、翌十四日、江古田原・沼袋原で太田軍と闘って泰明は戦死、豊島軍は大敗した(江古田・沼袋合戦)。泰経は石神井城に敗走し立て籠もるが、道灌の攻撃に泰経は四月十八日、石神井城の破却を条件に和議交渉を行った。しかし泰経は開城をせず、逆に石神井城の守りを固めようとしたため、四月二十八日、道灌の力攻めに遭い落城、泰経と残党は平塚城に敗走した。豊嶋氏の敗走後は廃城となった。

都心にほど近い閑静な住宅街、石神井。ここは僕が今を去ること15年前に上京して、はじめて住んだ街でもあります。そしてこの石神井城址のある石神井公園にも、なんども足を運んでいました。

石神井城は、南側を石神井川が流れ、北側には沼や湿地帯に守られた小高い台地の上です。遺構は本丸を中心に土塁、空堀がわずかに残りますが、周囲はフェンスで区切られていて、中に入ることは出来ません。廃城の時期が古いので、遺構の保存状態は必ずしも良くはなく、またもともとそれほど大きな防御施設があったとも思えないので、周囲の地形だけが当時を偲ばせるのみです。ただ、池の南側、上石神井駅方面にかけては石神井川の河岸段丘(いまではすっかり住宅地だが)になっていて、ところどころに堀や土塁であっただろう地形が残っております。

さて、この三宝寺池には、落城時にまつわる伝説があります。太田道灌に攻め立てられた豊嶋泰経は、重代の家宝の鞍を白馬につけて、この三宝寺池に入水し、その後を追って息女の照姫も城に蓄えられた金銀財宝とともに入水した、というもの。池の底にはキラキラ光る財宝が見えるが、決してそれを取る事はできないそうです。付近にはふたりを祀った殿塚・姫塚が残ります。

史実としての石神井落城は、豊嶋泰経は平塚城に落ち延び、最後は小机城に至るのですが、こういう伝承が残ること自体、意外と豊嶋氏や泰経は民衆に人気があったのでは?なんて思ってみたりもします。

ちなみに今を去ること十数年ほど前、ワイドショーを賑わせた「ワニ騒動」の舞台もこの三宝寺池でした。果たしてワニは見つかったのでしょうか??

【東京文化財ウィーク訪問:2003年11月03日】

いまさらでナンなのですが、昨年(2003年)の「東京都文化財ウィーク」で、普段立ち入りできない石神井城の主郭部が公開されました。今年(2004年)も公開されたようですが(ソレガシは行きませんでしたが)、また来年以降もチャンスがあるかもしれませんので、11月初旬の「東京文化財ウィーク」は要チェックです。

見学当日、冷たい雨の中の見学となり、写真もちょっと暗めですが、貴重な経験ができました。普段フェンスの向こうから主郭を見ていると、てっきり主郭は周囲より高台になっているものだと思っていたら、高さのレベルは周囲と全く同じで、塁壁だと思っていた場所は主郭周囲の土塁でした。年月によって風化し、丸っこくなってしまった土塁ですが、上から見るとそこそこ高さもあり、特に普段は浅くしか見えない堀が結構深く見えました。戦国末期の高度な城館とは比べるべくもありませんが、これで埋まっていなかったらきっともっとそれなりの規模なのでしょう。

雨のお城めぐりは大変ですが、ここは公園になっていることもあって歩くのに苦労はしません。むしろ、雨に霞む三宝寺池と、モノクロトーンの石神井城の姿が美しく見えて、「雨の日っていうのも悪くないな」などと思ったものでした。

[2004.11.03]

 

かつての沼沢地の名残を辛うじて残す三宝寺池越しに見る石神井城。ちなみに石神井公園の石神井池はこの三宝寺池を水源とする人工池です。

雨に霞む弁天堂附近。雨のお城めぐりはツライですが、こんな景色が見れるのは雨の日ならでは。

池にかかる橋の袂には、「昭和十二年」と刻まれた石神井城址の古碑が建っていました。

足を止める人も殆どいない石神井城址の碑。この碑の背後の小高い部分が石神井城の主郭にあたります。

本丸周囲の空堀と土塁跡。周囲は保存のためフェンス越しにしか見ることは出来ません。 堀は殆ど埋まっていますが、往時は最大幅11m、深さ6mもの規模があったとのこと。

周囲の住宅地には、ご覧のような「いかにも堀底」的な道や曲輪跡のような地形が散見されます。 豊嶋氏創建と伝えられる氷川神社。境内には江戸中期に豊嶋氏の子孫により寄進された石灯籠などがあります。
東京文化財ウィーク2003の模様

普段入れない堀底に入ってみました。かなり埋まっているようです。 同じく堀底。堀底に立ってもそれほど深いとは感じられないのですが・・・。

土塁上から見る堀。こうしてみると、結構な高低差があるのが実感できます。 主郭周囲の土塁。鋭さは失われていますが、往時の名残を感じさせるような重厚さは感じられます。

主郭土塁から西南の堀のコーナー部を見る。写真ではわかりませんが、堀は緩やかな鉤型に屈曲しています。 主郭内部。てっきりもっと高台だと思ってましたが、土塁の内部は周囲より若干高いくらいでした。

池の対岸にある殿塚。重代の家宝の鞍を白馬に乗せて入水したという豊嶋泰経の伝説を残します。 こちらは姫塚。その泰経の息女の照姫もまた三宝寺池に沈んでいったという。

 

 

交通アクセス

西武新宿線「上石神井駅」、西武池袋線「石神井公園駅」徒歩15分

関越自動車道・東京外郭自動車道「練馬」IC、「大泉」IC車10分。

周辺地情報

石神井公園でボートでも乗っていってください(笑)。

関連サイト

 

 

参考文献

「日本城郭大系」(新人物往来社)

「戦国関東名将列伝」(島遼伍/随想舎)

「小説・太田道灌」(童門冬二/PHP文庫)

「歴史と人物1982.04月号」(中央公論)

「歴史と旅1993.09月号」(秋田書店)ほか

参考サイト

 

埋もれた古城 表紙 上へ