都心にほど近い閑静な住宅街、石神井。ここは僕が今を去ること15年前に上京して、はじめて住んだ街でもあります。そしてこの石神井城址のある石神井公園にも、なんども足を運んでいました。
石神井城は、南側を石神井川が流れ、北側には沼や湿地帯に守られた小高い台地の上です。遺構は本丸を中心に土塁、空堀がわずかに残りますが、周囲はフェンスで区切られていて、中に入ることは出来ません。廃城の時期が古いので、遺構の保存状態は必ずしも良くはなく、またもともとそれほど大きな防御施設があったとも思えないので、周囲の地形だけが当時を偲ばせるのみです。ただ、池の南側、上石神井駅方面にかけては石神井川の河岸段丘(いまではすっかり住宅地だが)になっていて、ところどころに堀や土塁であっただろう地形が残っております。
さて、この三宝寺池には、落城時にまつわる伝説があります。太田道灌に攻め立てられた豊嶋泰経は、重代の家宝の鞍を白馬につけて、この三宝寺池に入水し、その後を追って息女の照姫も城に蓄えられた金銀財宝とともに入水した、というもの。池の底にはキラキラ光る財宝が見えるが、決してそれを取る事はできないそうです。付近にはふたりを祀った殿塚・姫塚が残ります。
史実としての石神井落城は、豊嶋泰経は平塚城に落ち延び、最後は小机城に至るのですが、こういう伝承が残ること自体、意外と豊嶋氏や泰経は民衆に人気があったのでは?なんて思ってみたりもします。
ちなみに今を去ること十数年ほど前、ワイドショーを賑わせた「ワニ騒動」の舞台もこの三宝寺池でした。果たしてワニは見つかったのでしょうか??
【東京文化財ウィーク訪問:2003年11月03日】
いまさらでナンなのですが、昨年(2003年)の「東京都文化財ウィーク」で、普段立ち入りできない石神井城の主郭部が公開されました。今年(2004年)も公開されたようですが(ソレガシは行きませんでしたが)、また来年以降もチャンスがあるかもしれませんので、11月初旬の「東京文化財ウィーク」は要チェックです。
見学当日、冷たい雨の中の見学となり、写真もちょっと暗めですが、貴重な経験ができました。普段フェンスの向こうから主郭を見ていると、てっきり主郭は周囲より高台になっているものだと思っていたら、高さのレベルは周囲と全く同じで、塁壁だと思っていた場所は主郭周囲の土塁でした。年月によって風化し、丸っこくなってしまった土塁ですが、上から見るとそこそこ高さもあり、特に普段は浅くしか見えない堀が結構深く見えました。戦国末期の高度な城館とは比べるべくもありませんが、これで埋まっていなかったらきっともっとそれなりの規模なのでしょう。
雨のお城めぐりは大変ですが、ここは公園になっていることもあって歩くのに苦労はしません。むしろ、雨に霞む三宝寺池と、モノクロトーンの石神井城の姿が美しく見えて、「雨の日っていうのも悪くないな」などと思ったものでした。
[2004.11.03]