小机はまづ手習ひのはじめにて

小机城

こづくえじょう Kodukue-Jo

別名:

神奈川県横浜市港北区小机町

(小机城跡市民の森)

城の種別 平山城(丘城)

築城時期

永享年間?

築城者

山内上杉氏?

主要城主

小机氏、北条氏

遺構

曲輪、土塁、空堀

本丸空堀<<2000年11月25日>>

歴史

永享の乱(1438〜39)に関東管領上杉氏によって築かれたとされるが正確な築城年代は不明。

文明八(1476)年十二月、関東管領山内上杉氏の家宰職の相続をめぐり、長尾景春が武蔵鉢形城で挙兵し、翌文明九(1477)年正月、武蔵五十子城の上杉氏本陣を襲ってこれを敗走させた(長尾景春の乱)。この乱に乗じて挙兵した武蔵石神井城の豊島泰経に対し、扇谷上杉氏家宰職の太田道灌は江古田・沼袋合戦で豊島氏を破り、四月二十八日には本拠の石神井城を落城させた。泰経はその後、武蔵平塚城に敗走するが、翌文明十(1478)年一月二十五日、平塚城も陥ち、泰経は小机城に敗走した。小机城では豊島一族とそれらを庇護した小机弾正らが籠城、約二ヶ月に渡り太田道灌ら関東管領軍と対峙する。亀之甲山に陣城を築いた道灌は四月十一日、小机城を攻め陥とし、一時廃城となった。その後北条氏の進出で、「小机衆」編成の拠点として氏綱の重臣・笠原越前守信為や北条氏の氏秀、氏堯らの支配下となったが、天正十八(1590)年の北条氏滅亡後は家康の関東入封にともない廃城。

横浜も結構広い街で、この小机城のある港北区はのどかな田園地帯といった趣き。なんの変哲もなさそうな街でなんと言っても目立つのは横浜国際競技場。まるで畑の中にUFOが着陸しているように見えます。ワールドカップ中は多くの人で賑わったことでしょう。「フーリガンが乱入して遺構を破壊!」などという事態を心配していたのですが、そんなことは全く無く、ヨケイな心配でしかなかったようです(爆)。

小机城はちいさな丘の上に残るちいさな城です。JR横浜線小机駅からは徒歩十分程度。城址全体は30分もあれば廻りきることはできます。城址のド真中を第三京浜がぶち抜いています。土塁・空堀・曲輪跡などは良く残っています。北条氏の時代には北条氏秀らが在城し、「小机衆」と呼ばれる軍団を編成、武蔵南端の支配の中心で、それなりに有名な城でもありますが、そのわりにはあまり大きな城ではありませんでした。ただ、土塁や空堀には、北条流らしい築城術が随所に見られます。

ちなみに冒頭の

小机はまづ手習ひのはじめにて いろはにほへと ちりぢりになる

の歌は、長尾景春の乱に際し、ここ小机城に籠城した豊嶋一族残党、小机弾正らを、太田道灌が攻めた際に読み、足軽たちに詠わせて士気を高めた、というもの。ほんとかどうかはわかりません。
この小高い丘が小机城。 城址全体図。城址を南北に第三京浜が分断しています。
二ノ丸の櫓台土塁。 二ノ丸曲輪。なお、ここが本丸曲輪だった、という説もあり。
二ノ丸に残る井楼櫓跡。 本丸虎口の模擬冠木門。
本丸は桜の季節には花見客で賑う。 本丸西側の堀。
本丸堀。最大幅12m、深さ10mという立派なものです。 堀は長尾景春の時代のものか、北条の時代のものかは不明ですが、様式や規模から見て北条時代のものである可能性が高いと思います。
大手虎口付近に残る小曲輪。 小机駅から見た太田道灌着陣の地、亀ノ甲山。

 

交通アクセス

JR横浜線「小机」駅徒歩15分

周辺地情報

 

関連サイト

 

 

参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、「戦国関東名将列伝」(島遼伍/随想舎)、「真説戦国北条五代」(学研「戦国群像シリーズ」)、「小説・太田道灌」(童門冬ニ/PHP文庫)、「歴史と人物1982.04月号」(中央公論)、現地解説板

参考サイト

北条五代の部屋

 

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