八王子城の前衛

初沢城

はつさわじょう Hatsusawa-Jo

別名:椚田城、高乗寺城

東京都八王子市初沢町

(みころも霊堂裏山)

城の種別

山城

築城時期

不明(鎌倉時代?室町時代?)

築城者

椚田氏?長井氏?

主要城主

椚田氏?長井氏?

遺構

曲輪、堀切

初沢城遠景<<2002年04月28日>>

歴史

築城時期や城主等の詳細は不明。鎌倉期にこの地を支配した横山党庶流の椚田氏の築城とも、大江広元の子孫といわれる片倉城主の長井氏の築城とも言われる。永正元(1504)年九月、山内上杉氏と扇谷上杉氏が立川周辺で戦った際(立河原合戦)に落城した椚田塁がこの初沢城、あるいは片倉城とも言われている。この時長井八郎は捕虜になったという。その後の記録はないが、北条氏の属城として滝山城八王子城の支城や烽火台として利用されたものと思われる。

初沢城に関しては記録も殆どなく、詳しいことは分かっていません。武蔵横山党の椚田氏の築城とも、鎌倉御家人で近隣の高乗寺開祖ともいわれる長井氏の居城とも伝えられています。立地条件としては、小仏峠の入り口にあたり、背後に高尾山、丹沢山系を控え、戦国末期には北条氏の副都心、八王子城の前衛拠点となっていたものと思われます。さほどの比高差でもなく、急峻でもありませんが、ちょうど平地から丹沢山系の山々に繋がる場所であるため、物見としての機能も持っていたことでしょう。あるいは、八王子城津久井城を結ぶ最短経路の街道確保の役割もあったかもしれません。滝山城時代よりも、八王子城築城後の時代の方がこの初沢城の戦略価値も上がったと思うのですが、それほど大きな拡張・改修は行われていないように見受けました。

遺構は山頂部分の主郭をはじめ、複数の削平地と小規模な堀切くらいで、目立ったものはありません。小田原の役においても、ここで攻防戦が行われたかどうかはわかりませんが、恐らく城主以下全員が八王子城に集結し、この初沢城は最初から放棄されていたのではないでしょうか。

登城ルートは複数あるようですが、高尾駅近くの「みころも霊堂」(非常に目立つ金色の霊堂)そばの天神社、菅原道真公像付近(この付近は出城だった)から登るのがいいでしょう。さほど急ではありませんがダラダラと登りが続くのでややしんどいかもしれません。主郭からは木々に遮られて八王子城や市街地方面は見えず、丹沢山系の山々だけが見えていました。

城の西側山麓には古刹の雰囲気が漂う高乗寺があります。長井氏によって寄進され、応永元(1394)年に開基、長禄元(1457)年に現在地に移ったとのこと。

菅原道真公の像付近から見る八王子城。初沢城は八王子城の前衛の砦の一つであったと思われます。

写真の堀切は半ば埋もれ、もはや判然としないほどです。 標高249mの主郭周辺。複数の腰曲輪らしきものもあります。

 

 

交通アクセス

中央自動車道「八王子」ICから車20分。

JR中央線・京王高尾線「高尾」駅より徒歩10分。

周辺地情報

八王子城滝山城がオススメです。八王子城は全部見ようと思ったらほぼ丸一日必要です。

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、「多摩丘陵の古城址」(田中祥彦/有峰書店新社)、高乗寺提供資料

参考サイト

城跡をゆく多摩の古城址史跡訪問中央電子株式会社

 

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