初沢城に関しては記録も殆どなく、詳しいことは分かっていません。武蔵横山党の椚田氏の築城とも、鎌倉御家人で近隣の高乗寺開祖ともいわれる長井氏の居城とも伝えられています。立地条件としては、小仏峠の入り口にあたり、背後に高尾山、丹沢山系を控え、戦国末期には北条氏の副都心、八王子城の前衛拠点となっていたものと思われます。さほどの比高差でもなく、急峻でもありませんが、ちょうど平地から丹沢山系の山々に繋がる場所であるため、物見としての機能も持っていたことでしょう。あるいは、八王子城と津久井城を結ぶ最短経路の街道確保の役割もあったかもしれません。滝山城時代よりも、八王子城築城後の時代の方がこの初沢城の戦略価値も上がったと思うのですが、それほど大きな拡張・改修は行われていないように見受けました。
遺構は山頂部分の主郭をはじめ、複数の削平地と小規模な堀切くらいで、目立ったものはありません。小田原の役においても、ここで攻防戦が行われたかどうかはわかりませんが、恐らく城主以下全員が八王子城に集結し、この初沢城は最初から放棄されていたのではないでしょうか。
登城ルートは複数あるようですが、高尾駅近くの「みころも霊堂」(非常に目立つ金色の霊堂)そばの天神社、菅原道真公像付近(この付近は出城だった)から登るのがいいでしょう。さほど急ではありませんがダラダラと登りが続くのでややしんどいかもしれません。主郭からは木々に遮られて八王子城や市街地方面は見えず、丹沢山系の山々だけが見えていました。