大山岳戦「三増峠合戦」の地

津久井城

つくいじょう Tsukui-Jo

別名:筑井城

神奈川県津久井郡津久井町太井

城の種別

中世山城

築城時期

鎌倉初期  

築城者

筑井為行

主要城主

筑井氏、内藤氏

遺構

土塁、堀切、竪堀、石垣

ダムサイトから見た城山全景<<2001年12月01日>>

歴史

鎌倉時代に三浦氏の一族である筑井為行(筑井太郎二郎義胤)によって築城されたといわれる。戦国初期には北条早雲が家臣、内藤左近将監景定を城主として送り込み整備、「津久井衆」といわれる家臣団を組織して主に甲斐からの侵攻に備えた。大永四(1524)年、北条氏綱が江戸城奪取のために高輪原でに布陣し扇谷上杉朝興と対峙したときに、上杉氏の呼び掛けに応じた武田信虎が津久井城を攻めている。その後も武田氏による度々の侵攻を受け「敵半地」と呼ばれて北条・武田両氏が入り組んだ支配を行っている。

永禄十二(1569)年の武田信玄による小田原城攻めでは、小田原の守りが固いと見るやすぐさま撤兵、津久井城の南方3kmの三増峠経由での帰路についたが、北条氏照・氏邦兄弟が迎撃し山岳地帯での激戦となった(三増峠合戦)。その際に武田氏は後詰の遮断と帰路の確保を目的に小幡氏の手勢に津久井城を囲ませたため、城主・内藤景豊は籠城を余儀なくされた。

天正十八(1590)年の小田原の役では城主・内藤景豊は小田原城に籠城し、津久井城には老臣ら百五十騎が籠城したが、徳川勢・本多忠勝、平岩親吉ら一万一千の攻撃を受け降伏開城、その後廃城となった。山頂には江戸末期の文化十三(1813)年建立の古城碑が建っている。

城山ダムに面した、三つのピークを持つ「いかにも山城」な山で、非常に目立ちます。城山ダム側から遊歩道が整備されていて、山自体が急峻な割には歩きやすい場所です。
この津久井城のある城山、いまはダムサイトのハイキングコースみたいになっていますが、当時はもちろんダムなどある訳もなく、相模川の深い谷と急流が要害として機能していたことでしょう。ダム湖岸の公園に石垣があり一瞬「オオッ!」と思いますがこれは真っ赤なニセモノ。だいたいダムができる前はこの相模川沿いは思いっきり谷で、こんな中腹に石垣を作る理由なんて何もない。騙されちゃいけません。ちなみに根古屋はダムとは反対側の南側、三増峠側にありました。近くの橋本の駅前などは結構な都会で、こんな街のそばにダムがあるのも珍しい気はします。「山岳戦・三増峠合戦」の印象から、かなり奥まった山の中をイメージしていたのですが、いかにも現代的な街からいきなり「山城とダム」というのはなかなか意外性があります。
いわゆる狼煙ネットの一部として、とくに小田原八王子という、「首都と副都心」を結ぶ重要な通信基地として、またちょこちょこ現れる甲州勢に対する防衛拠点として機能していたんでしょうが、あまり山城の多くない北条氏の城としてはこのような典型的山城は貴重です。しかし、その狼煙ネットとしての位置付け故か、あまり「北条流」と言えるような仕掛はないみたいです。防備の主体はなんと言っても竪堀で、尾根から八方に自然の沢を利用した竪堀が方射状に伸びていますが、残念ながら山林化しているため、その全貌はあまり掴めません。曲輪跡や土塁、堀切などのスタンダードな遺構もありますが、戦国末期の築城で近隣の八王子城あたりと比較すると規模も小さくこれといった斬新さもなく、いかにも古めかしい印象は否めません。相模川沿いに甲州へ繋がる要衝でもあり、「津久井衆」のような家臣団が結成された要地の城としては意外なほど貧弱な気がしてしまいます。

かつての根古屋にあたる南方からの眺め。 津久井湖側の登山口入り口には思わせぶりな石垣がありますが、これは遺構ではありません。
水の涸れたことがない「宝ヶ池」。山城での水はまさに宝だったでしょう。 不鮮明で恐縮ですが堀切と土橋。飯縄曲輪と「鷹射場」を断ち切り、尾根の両側を竪堀になって山裾まで降りています。竪堀の写真はあまりに不鮮明なので掲載しません。。。
鷹射場から相模原・橋本方面。相模川が大地を削り取って段丘を形成しているのがよくわかりました。 竪堀ですが写真は失敗。竪堀の写真は難しいですね。

狼煙台の虎口土塁。この狼煙台からは三増峠付近がよく見渡せ、また周囲の高峰とは狼煙ネットで中継されていたのでしょう。

飯縄神社。周囲には腰曲輪があります。ボーイスカウトが訓練をしてました。頑張れ!(僕もOB)

太鼓曲輪南斜面に少しだけ残る石垣。この辺りは「かろうやしき」と言われていますが、非常に急斜面で、相当に激しく崩落しています。石垣もかつてはもっと規模が大きかったのでは? 本城(本丸)手前の曳き橋跡の空堀(堀切)。この手前(南東)の四差路も堀切跡です。いずれもかなり埋まっています。堀はやはり尾根の両側の竪堀に繋がっています。

本城付近から南方、根古屋方面と三増峠を望む。 本城土塁上の古碑。江戸期のものです。風格がありすぎて全然読めません(笑)。
本城の土塁。「く」の字になっていて曲輪の南東面を守っています。その上に古碑が建ってるのだ。 三増峠。古戦場碑は場所が分からず、信玄本陣は「東名CC」内なのでこれまた行けず。

しかし寒かった・・・。

ダムサイトの「津久井湖観光センター」でパンフ&マップが貰えるのでぜひ立ち寄りましょう。

 

 

交通アクセス

中央自動車道「八王子」IC車30分

JR横浜線・京王相模原線「橋本」駅徒歩60分

周辺地情報

近いといえるかどうか分らないが八王子城がオススメ。津久井城の近くには狼煙ネットの城がいくつかあるようですが整備されてはいないでしょう。遺構の程度も不明。

関連サイト

 

 
参考文献 「日本城郭大系」(新人物往来社)、、「風林火山・信玄の戦いと武田二十四将」(学研「戦国群像シリーズ」)、「真説戦国北条五代」(学研「戦国群像シリーズ」)、「関東三国志」(学研「戦国群像シリーズ」)、現地パンフレット、現地解説板

参考サイト

 

埋もれた古城 表紙 上へ