ホンモノは水の底

豊田城

とよだじょう Toyoda-Jo

別名:

茨城県結城郡石下町本豊田

城の種別

平城

築城時期

正平元(1346)年 

築城者

豊田善幹

主要城主

豊田氏、多賀谷氏

遺構

なし

小貝川堤防上の石碑<<2003年06月22日>>

歴史

康平五(1062)年、前九年の役で源義家に従い軍功を立てた赤須四郎平政幹が恩賞として豊田郡を賜り、豊田氏を称した。豊田氏ははじめ向石毛の館に居を置いたが、正平元(1346)年、豊田善幹が豊田城を築き本拠としたという。

戦国期には豊田城主・豊田政親は下妻城主・多賀谷氏の侵攻を防ぐため、小田城主・小田氏治と縁戚になり同盟している。弘治〜永禄年間頃には多賀谷氏の侵攻が激しく、永禄元(1558)年には豊田城主・豊田治親と石毛城主・石毛政重の兄弟は多賀谷軍を長峰原・蛇沼で迎撃し、小田氏の援軍を得て撃退した。

天正六(1578)年(一説に天正三年)、豊田治親は下妻城主・多賀谷政経の家臣・白井全洞の調略により家臣の飯見大膳に毒殺され豊田氏は滅亡、豊田氏の遺臣は石毛城に立てこもって抗戦するが逆心の身柄引渡しと石毛城主・石毛政重の遺児太郎正家の助命を条件に多賀谷に降伏した。

豊田城も多賀谷氏のものとなった。慶長四(1601)年、多賀谷氏は改易となり、豊田郡は関東郡代伊奈氏配下の天領となり、豊田城も廃城となった。

豊田城」というと、豊田地区に聳え立つ、異常なほどの大きさの模擬天守がすぐに浮かぶ人も多いでしょう。関東有数の怪しいお城じゃないかと思いますが、かくいうソレガシもはじめてこの附近に来たとき、遠方に巨大な天守が聳えているのを見て「なんじゃこりゃあ!?」と思ったひとりです。この現代の「豊田城」は正確にはお城と全く関係ない場所に建てられた「石下町地域交流センター」であって、中は郷土の作家、長塚節関連の資料や郷土史資料などが展示されています。まあ遺構の破壊とかは無いわけだし、「模擬天守!」って目くじら立てるようなモノでもないでしょう。ただただその巨大さに唖然と見上げればいいのですから。ちなみにこの「豊田城」、町のあちこちに出城(?)があって、ある種のシンボルになっていることが感じられます。展示内容は結構充実していますが、入館料400円はちとベラボーな気はします。

しかしこの「豊田城模擬天守」とは別に、ホンモノの豊田城もありました。かつては。このホンモノ豊田城は小貝川に架かる「長峰橋」の下流1kmほどの堤防上とその下の二箇所、ぽつんと城址碑が建っています。これで分かるとおり、豊田城は小貝川の河川改修と耕地整理によってすっかり消滅してしまったのです。

豊田氏も一時期は隆盛を誇りましたが、戦国期には豊田郷一帯を治める小領主として四苦八苦、特に結城氏から独立して独自の勢力拡大を目指す多賀谷氏の南進は大きな脅威となり、小田氏らと手を結んでこれを阻止しようとします。上杉謙信が小田城を攻めたときの小田氏の与力衆を調べ上げた「小田氏治味方覚書」なる古文書にも豊田氏の名が見えるそうです。しかし、位置的に下妻城のほぼ真南にあたる豊田氏の領地は強大化する多賀谷氏に蹂躙され、最後は家臣の寝返りによって謀殺、滅亡の憂き目を見ることになりました。やはり小領主の末路というのは、いかにも無情ですね。

遺構は何もありませんが、もし訪れるなら、本豊田集落を通り抜けて、小貝川の堤防上「川の一里塚」を目指すといいでしょう。そばに城址碑と解説板があります。またそこから200mほど西の高圧線の鉄塔の袂にも、城址碑と、「土地改良事業竣工記念の碑」があり、豊田氏の苦悩の歴史が刻まれています。

改修された小貝川の堤防上に建つ「豊田城跡」の碑。誰かが言ってたけど、こういう碑ってホント、「お城のお墓」ですね。ホンモノの豊田城はこんなに地味な姿に(地味すぎ)・・・・。 左の堤防上の碑のほかに、西へ200mほど行った鉄塔の下にもうひとつの城址碑と「土地改良事業竣工記念の碑」があります。この「土地改良」の碑、やたらと立派でかつ豊田氏の歴史に詳しい。ところでこのあたりは良く見ると周囲より1mほど高い微高地であるようです。
改修されてもなお自然河川の雰囲気を大いに残す小貝川。古くはこちらが鬼怒川本流だったという。現在でも地形図を詳細に見ると、当時の荒れ狂う河川の道筋が見えてきたりします。 ホンモノ豊田城の近く、本豊田集落はずれから見る「現代の豊田城」。とにかくデカい&目立つ。なんにも予備知識無しで目に飛び込んでくると、ホント度肝を抜かれますよ。。。
この模擬天守、正確には「石下町地域交流センター」という施設で、歴史に関する展示などは結構充実。しかし、これ建てるの、いくら掛かったのかなあ?? で、この石下の町、いたるところにこういう出城(?)がある。倉庫なのか、何らかの避難施設とかなのか、正体不明。

 

 

交通アクセス

常磐自動車道「谷和原」ICまたは「谷田部」IC車30分。

関東鉄道常総線「南石下」駅から徒歩30分。

周辺地情報

近隣だと石毛城、向石毛城などがありますがほとんど遺構らしい遺構はなし。話のネタに「石下町地域交流センター」に立ち寄るのもいいかも。まじめにお城が見たい人は逆井城がオススメです。

関連サイト

 

 
参考文献 「常設展示解説図録」(石下町地域交流センター)、石下町地域交流センター展示資料、現地石碑・解説板

参考サイト

常陸国の城と歴史美浦村お散歩団余湖くんのホームページあやしい城

 

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