小田城散策(1)

主郭・志田曲輪周辺ほか

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小田城縄張図(左)・鳥瞰図(右) ※クリックすると拡大します。
平たい小田城、遠景が撮れないので南西W曲輪の馬出し跡附近から主郭を見る。周囲の堀は夏場を中心に、天候条件によってはこのように満々と水を湛えています。2002年の現説では木橋跡や馬出し周囲の堀、土塁痕などの成果が報告されていました。奥に外郭の一部を為すとされる前山城、さらに奥には高師冬軍が陣取ったという宝篋山が聳えています。
ヤブだらけの前山城の絶壁から見る小田城主郭周辺。写真奥の田んぼは桜川沿岸の低湿地帯でした。 小田城の顔ともいえる主郭南端の櫓台(涼台)。
涼台と、脇に建つ「神皇正統記起稿之地」の石碑。公家大将・北畠親房の足跡を語ります。 涼台から見下ろす堀。この日は水深30cmほどの水がありました。
主郭南西から涼台と堀を見る。やはりこのサイクリングロードは少々景観を壊しているように思うが・・・。 こちらは反対方向の南側から見る涼台。水のあるときは堀を渡れないので、どこへ行くにも大回りを強いられます。
こちらは堀1・北西側の様子。冬の写真ですが、山側からの排水の関係で湿っています。このあたりは戦国期の畝堀が検出されています。 堀1の北東側は埋められてしまっています。関係者によると、国指定後の無許可改変にあたるそうです。将来的には水堀が復元される計画です。

主郭東側の櫓台「鐘楼台」。丸っこい形が特徴的です。 鐘楼台には小田氏の関係のものなのか、3mほどもある巨大な五輪塔一基と多数の小規模な五輪塔・石塔があります。
主郭東南側の「一の木戸」附近。もともとは木橋があったらしい。 志田(信太)曲輪と呼ばれるX曲輪。写真のあたりは線路跡によって荒らされていますが、塁線を追いかけていくうちに馬出しだったらしいことが分かりました。
志田曲輪南端の堀。向こうに見えるボサ藪は高さ3mほどの土塁の一部です。 その志田曲輪の土塁。形状的には櫓台だったように見えます。上に小さな祠があります。
志田曲輪からZ、[曲輪方面を見る。冬だと直線的な塁線もはっきり追いかけることができます。 Z曲輪と最外郭にあたると思われる堀4。Z曲輪には土塁状の小高い盛り土がありますが、土塁かどうかは不明。
直線的に伸びる堀3。 堀3と堀4の接合部は大きな横矢、高い塁壁が見ごたえあります。
[曲輪にあったという馬出し周辺。写真でははっきりわかりませんが、現地では堀跡がやや低くなっています。詳しくはこちらをどうぞ。 [曲輪内の西側には堀3から派生する浅い枝状の堀がありますが、非常に浅くその目的は今ひとつよくわかりません。
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