稲敷長塁群

「美浦村お散歩団」を運営するひづめさんにご案内いただき、

木原城周辺の惣構えの堀・土塁

および稲敷郡に散在する戦国土塁の数々を見学することができました。

木原城惣構えとは別個の、街道を寸断する目的らしいものです。

中には非常に良好な畝堀などもあり、驚愕しました。

ご案内いただいたひづめさん、有難うございました。

稲敷長塁群について  2002.04.14 

これも勝手に仮称をつけさせてもらいました。位置的には木原城の南へ向かう県道沿いや、江戸崎城から西へ向かう古い街道沿いにあり、地勢的には、複雑に入り組んだ台地のなかで、両側に谷津を控えて台地が狭まった鞍部を遮断するように土塁や堀が設けられています。この地勢がポイントで、ひづめさんによると、かつての古街道は低湿な谷津部を避けるように丘陵の鞍部を縫っていて、この街道を監視・遮断するために設けられたのではないか、ということです。だれが作ったのかも判然としませんが、江戸崎土岐(土岐原)氏が西の小田氏の進行を食い止めるために作った、という説や、一時期江戸崎に侵出した小田氏の勢力が作ったという説もあるそうです。いずれにしても、東南北に霞ヶ浦や牛久沼という水郷地帯を抱え、陸路は西側のみという地形を考慮すれば、この陸路を遮断するのは防衛上非常に効果がありそうですね。

なおこの長塁については、ひづめさんが運営する「美浦村お散歩団」のサイトに非常に詳しく紹介されていますので、ぜひそちらもご覧下さい。

【再訪:2003.04.13】

またまたひづめさんにご案内いただき、素晴らしい遺構群を堪能して参りました!ひづめさんをご案内人に、岡田さん(「北総の秘めたる遺跡」)、五郎さん、余湖さん(「余湖くんのホームページ」)とソレガシの常総勢五名によるミニオフです。ひづめさん、毎度ありがとうございます。今回は、「雀久保土塁」の馬出しとされる虎口附近まで見学できました。前日の雨のおかげで、湿地帯が見事に再現!

まずは県道木原正直線をまっすぐ南下した先、美浦村のはずれにある美浦境土塁。県道に面して、薄切りになってしまった「土塁のスライス」がありますが、ひづめさんに案内してもらった山林中には、右写真の非常に長大な堀と土塁があります。しかも土塁にはしっかりと横矢が掛かっておりました。
阿見町に入って、「名所百選」にも指定されている雀久保土塁。こちらも非常に長大な土塁で、ひづめさんによれば、馬出し状の虎口などもあるとのこと。このペンペン草の藪は低湿地で、ここにも部分的に畝があるらしく、自然の湿地を生かした泥田堀であったようです。写真右手に前日の雨による水が溜まっているのが見えます。
雀久保土塁の虎口附近の土塁。馬出しなのかどうかはイマイチよくわかりませんでしたが、土塁の高さは見事です。しかしこの不法投棄の山はイタダケナイ。。。 雀久保土塁虎口周辺の泥田堀。前日の雨のおかげで見事に再現されました。深さを測るために竹を突き刺してみましたが、竹が折れて・・・。
ひづめさんが自信満々の笑顔で「どうですか?」と紹介してくれた割目土塁。一瞬後に驚愕の声をあげてしまった。なんと鮮明な畝堀!(写真は不鮮明ですが。。。)畝はぱっと見ただけでも3-4本確認でき、堀も埋まってはいますが、2m弱はあるでしょうか。ひづめさんによれば、畝は戦国期のものではなくて近世のものである可能性もある、また、この堀も軍事目的ではなく、鹿除け・馬除けのものかも知れない、とのことでした。
左は下草が刈られ、はっきりと遺構が確認できる吉原二重土塁。ひづめさんが車で走っていて、最初に気付いた長塁だそうです。土塁と堀は非常に良好な状態で確認できます。右はこの二重土塁の、道路を挟んだ対岸の谷津。あきらかに低湿地帯で、一部に水が光っているように見えました。この霞ヶ浦周辺の低湿な谷津に挟まれた丘陵が狭まった場所にこういった土塁が築かれているようです。

虎口や畝堀を伴う土塁群は、それ単体で見るよりも、霞ヶ浦周辺の地形、とくにこの稲敷地方が霞ヶ浦に突出した半島状の地形であり、また当時の霞ヶ浦の水位が現在より高かったことを考えれば、半島そのものを要塞化した、いわば「稲敷城」とでも言えるような存在が浮かび上がってきます。この長塁の詳細についてはひづめさんのサイト「美浦村お散歩団」をご覧下さい。この後、阿見町の塙城などにもご案内いただき、畝堀の存在や、謎に満ちた三重堀などを見学しましたが、日没でこれ以上の見学は断念しました。また周囲には、古代の環濠集落から発展した民衆の城、「村城」「城砦集落」なども点在するようで、こちらも大変興味深いですね。親切にご案内いただいたひづめさん、本当にありがとうございました!

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