木原城めぐり 2001.03.25

霞ヶ浦の南側に面した木原城。突出した丘陵は決して「天嶮の地形」というような場所ではないですが、大規模な防御を施した、壮大な中世城郭です。小田原北条氏の築城術を採り入れた、といわれますが、北条氏の勢力がこんなところまで伸びているのは驚きですね。

木原城遠望。霞ヶ浦沿岸に突出した舌状台地の先端が詰曲輪(主郭)。しかし実はこの木原台ほぼ全域が城域でした。 木原小学校の建つ付近が三ノ曲輪。この三ノ曲輪が異常なまでに大きく、それらを取り巻く外郭部の壮大さは息を呑むほど。

木原小学校の裏の模擬木戸をくぐれば二ノ曲輪。

畑になっている二ノ曲輪から詰曲輪の虎口方面。土塁、堀が良好なコンディションで残ります。

二ノ曲輪を取り巻く空堀の一部は木原小学校の通学路にもなっています。写真は強烈な横矢。 二ノ曲輪の土塁。曲輪内からおよそ5m、堀底からは8m前後あります。
詰曲輪土塁上から虎口の土橋を見る。実は車道になっていて車で土橋を渡れます。 詰曲輪堀底から見た土橋。車と比較するとその深さがわかるでしょうか。

非常に良好な状態の詰曲輪虎口付近の空堀。 詰曲輪東側の土塁。駐車場の車と高さを比べてみてください。
詰曲輪東、搦手に近い高台にある稲荷曲輪。ここから見下ろす詰曲輪堀の深さは驚愕。 稲荷曲輪下から見た詰曲輪堀。写真では分かりづらいですが10mを超える落差。実に素晴らしい!
芝生公園になっている詰曲輪(本丸)。井楼櫓風の展望台もあります。弥生期・古墳期の環濠集落の堀跡もあり、「環濠の道」になっています。 「堀の道」。詰曲輪周囲の土居の内側に浅い堀が廻っていました。現在は埋め戻され歩道になっています。

展望台から見た詰曲輪と霞ヶ浦。ガスっていてよく見えませんが・・・ 搦手にあたる弁天曲輪の池。多少の水はありますが汚れきっています・・・この搦手付近には舟着場もあったらしい。
県道をはさんだ東側の大手曲輪。この先に土塁にはさまれた大手虎口状の道がありますが民家なのでここでは掲載しませんでした。 寺曲輪と呼ばれる永巌寺。外曲輪に当たるのでしょうが、実はこの周囲には凄まじく大規模な堀・土塁があり、この寺曲輪自体がひとつの城郭のような体裁を持っています。

基本的には土塁と空堀の「地味な」城ではありますが、民家の建ち並ぶ住宅地にも城下らしい複雑な地形があり、楽しめます。写真は撮りませんでしたが、ちょっとした道端の藪のなかにも、空堀や土塁と思しき遺構がチラホラ見えます。とにかく堀の深さ、土塁の高さとそれらの保存状態のよさは「一見の価値あり」と断言します。そしてそして、実はものすごい隠れた遺構がありました。木原城惣構え稲敷長塁群のページを見てください!

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