江戸崎土岐原氏の興りを読んだのですがよく分りませんでした。土岐氏といえば美濃守護職の名門で、最後はあの「蝮の道三」によって滅ぼされてしまうのですが、この江戸崎城の土岐原氏はその土岐氏の「庶流の庶流」のような血筋で、かつ本家から養子を入れたりしているようなので、余計複雑でわかりにくい。とにかく美濃源氏の血を引く名家であることと、北条氏の参加に入って小田原の役で豊臣方に着いた佐竹氏に滅ぼされてしまうわけです。小説などでは斎藤道三に美濃を追われた美濃守護の土岐頼芸が晩年に滞在してたことになってて、それも興味をそそります。
霞ヶ浦南岸の丘陵地帯に城跡はあります。現在の町民研修センター、江戸崎小学校周辺が城址ですが、小学校建設の際、かなりの範囲にわたって山が切り拓かれたため、正確な地形や城の規模はわかりません。わずかに残る土塁も、それと気付かぬようなものです。なんと江戸崎町役場で「江戸崎城の謎に迫る」というビデオを売ってるそうで(すいません買ってません)、CGで江戸崎城が再現(!)されているそうです。う〜ん、買おうかな。
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江戸崎小学校の敷地内に残る櫓台の土塁。 |
研修センター前の道路が堀跡。 |