鬼太郎のオヤジ?

万木城

まんぎじょう Mangi-Jo

別名:万喜城

千葉県夷隅郡夷隅町万木

城の種別 平山城(丘城)

築城時期

応永年間(1394〜1428年) 

築城者

土岐頼元

主要城主

土岐氏

遺構

曲輪、土塁、井戸、削岸

麓より模擬天守風の展望台<<2001年4月8日>>

歴史

万木土岐氏には三代説、五代説、九代説があってはっきりしない。伝承では、摂津富山城から来た頼元(元頼)が安西氏に仕え、のちに里見義実の配下になったといわれる。この間の経緯ははっきりしないが、天文の内乱を経た後の後期里見氏の配下にあっては、大多喜城主・正木大膳亮時茂、東金城主・坂井右衛門佐敏房とともに、万木城主・土岐弾正少弼為頼は「里見三羽ガラス」と呼ばれ、剛勇を賞賛された。
天文七(1538)年の第一次国府台合戦では、土岐為頼は里見支配下の一将として参陣した。永禄七(1564)年の第二次国府台合戦では里見義弘配下の一将としてふたたび参陣したが、北条氏の誘降策に従い、兵を折り敷かせて傍観し、里見氏から離反した。
天正十七(1589)年、豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻める姿勢を鮮明にすると、万木城にも北条氏政・氏直父子から土岐頼春宛に陣触れが届き、300騎を小田原城に送った。これを見計らって、庁南城の武田豊信(信栄)が突如、手薄になった万木城を急襲した。頼春は巨岩・巨木を投げ落とし、鉄砲をつるべ撃ちに応戦、そのうちに支城の矢獄城等の援兵が寄せ手の背後を襲い、潰走する庁南勢に退路の伏兵が待ち伏せし猛射撃を加え、93の首級を挙げた。直後に里見義頼ら1500騎が来襲、付近の保良峠に伏兵を置き頼春を陥としいれようとしたが、住民の密告で頼春は密かに発坂峠に軍を移し、強襲に出た里見勢の首級175を挙げた。これに怒った大多喜城主・正木時茂(二代目・時堯・里見義頼弟)が十一月に万木城を包囲した。このときも万木城は陥ちず、時茂は一旦陣払いし、翌天正十八(1590)年一月に300騎で奇襲を掛けようとしたが、土岐勢の乱破の情報でこれを察知した頼春は川谷の隘路に伏兵を置き、夜間行軍する正木勢に鉄砲の射撃を浴びせ掛けて追い払った。

天正十八(1590)年に小田原討伐軍の本多忠勝(徳川家康属将)に攻められ落城、土岐氏は途絶え城も廃城となった。頼春は自刃したとも三河に落ち延びたとも言われる。

いや、驚きました。何がって?突然目の前に現れた、世にも奇怪な天守風展望台に、です。直感的にひらめいたのが「鬼太郎のオヤジ!」。あんまり趣味の良くない形ですな・・・。

見た目の割には堅城だったらしく、正木氏の攻撃に何度も耐えたりしていましたが、徳川四天王のひとり、後に上総大多喜城主となる本多忠勝の前に落城、炎上しました。この万木城主の土岐氏については諸説あり、出自や歴代城主は判然としませんが、戦国後期に活躍した「万木少弼」為頼、その子頼春はともに知略・武勇持ち合わせた名将で、北条氏と里見氏という大勢力に挟まれたこの地で、「十万石」ともいわれる、独立した勢力を確立していたようです。のちに大多喜城主となった本多忠勝は、自身も剛勇を賞賛されましたが、この万木城主の為頼を非常に賞賛し、土岐氏の旧臣らに、たびたび「万木少弼どの」の話をさせていたと言われています。

万木城は、延々と続く房総の低い丘陵地にあります。天然河川の名残を残す夷隅川が外堀となっていいます。丘の上に続く道は堀跡でしょうか?道の脇には小規模の削平地が何段も連なっています。展望台のあるところは周囲より一段高くなっており、望楼でもあったのでしょう。頂上の駐車場わきに米蔵と呼ばれる土塁状の高まりがありますが、ここでは今でも当時のものと言われる焼き米が出土するらしいです。周囲は房総の城郭によく見られる、垂直削崖が多用されています。空堀は見つけられませんでした。多分全国的には限りなく無名に近い万木城と万木土岐氏ですが、「隠れた名城」「隠れた名将」と言っていいでしょう。

万木城の天然の外堀・夷隅川。 道路沿いに数多く見られる階段状曲輪群。

本丸にあたる大曲輪と櫓台。櫓台には天守風(?)の展望台が建つ。しかし面妖な・・・。 井戸跡。コンクリの枠がちょっと。。。。
大曲輪南側の米蔵。 粘土質の斜面を人工的に削り落とした切崖。
展望台より城下。中央を左右に夷隅川が横切る。面妖な展望台でも景色は最高! 満開の桜は最高だったが、花見客のラジカセが異常にウルサかった・・・・。

 

交通アクセス

国道465号から万木集落方面

いすみ鉄道「国吉」駅徒歩50分

周辺地情報

大多喜城久留里城など。

関連サイト

 

 
参考文献 「房総の古城址めぐり(上)」( 府馬清/有峰書店新社)、「新編房総戦国史」(千野原靖方/崙書房)、「戦国関東名将列伝」(島遼伍/随想舎)、「新編戦国房総の名族」(大衆文学研究会千葉支部/昭和図書出版)、「大多喜城とその周辺」(千葉県立総南博物館)、現地解説板ほか

参考サイト

余湖くんのホームページ

 

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