秋風哀し 浅井三代とお市が見た夢の跡

小谷城

おだにじょう Odani-Jo

別名:

滋賀県東浅井郡湖北町伊部

 

城の種別

山城

築城時期

大永四(1524)年

築城者

浅井亮政

主要城主

浅井氏

遺構

曲輪、石垣、土塁、虎口、池 他

浅井長政自刃の地、赤尾美作屋敷<<2001年11月25日>>

歴史

築城時期は諸説あるが、大永四(1524)年、北近江守護の宇多源氏・京極氏の家臣団を巻き込んだ跡目争いで台頭した在地土豪の浅井亮政により築かれたとされる。大永三(1523)年京極高清の跡目をめぐって、次男の高慶(高佳・高吉)を推す高清・守護代格の上坂信光と、長男の高広(高延)を推す浅見貞則・浅井亮政・三田村忠政・今井越前らの有力国人領主層が対立、高広派の国人領主たちは結束して今浜城(のちの長浜城)を攻め上坂信光と京極高清・高慶父子を国外に追放した。しかし、今度は浅見貞則の専横が目立つようになり、浅井亮政は国外追放した京極高清と和睦し、小谷城に迎え入れて浅見氏を追放、これにより浅井亮政は守護京極氏の名のもとで江北一帯を支配する有力戦国大名となった。

しかしこれに警戒感を抱く江南の六角定頼が大永五(1525)年、観音寺城から小谷城下に侵攻、亮政は越前朝倉氏に援軍を頼み、以降浅井氏と六角氏の対立、浅井氏と朝倉氏の同盟関係が生まれた。六角氏と浅井氏は何度も干戈を交えたが、天文二十二(1553)年、地頭山合戦で敗れた浅井久政は六角義賢に和議を乞い、久政の嫡男・新九郎は六角義賢の一字書き出しを受けて賢政と名乗らされ、六角氏の家臣・平井加賀守定武の娘を娶らされるなど、一時六角氏の風下に立たされ、実質的に服属した。しかし永禄二(1559)年、賢政は六角氏に叛旗を掲げ、平井定武の娘を離縁し、重臣の支持を得て父・久政を隠居させ、長政と名乗った。長政は永禄三(1560)年、観音寺城の北8kmの野良田に出陣、浅井軍一万一千と六角氏二万五千が激突、浅井氏は奇襲により勝利を収め、以降江北地帯を支配した(野良田合戦)。永禄七(1564)年に尾張の織田信長と同盟、信長の妹のお市を娶り、美濃の斎藤龍興と対峙した(同盟年は諸説あり)。このとき、浅井氏は同盟に際して、越前の朝倉氏への不戦を条件とし、信長は誓詞を入れている。

永禄十一(1568)年、信長は十三代将軍、足利義輝の弟、義昭を奉じて上洛を開始、浅井長政と佐和山城で合流し、観音寺城の六角義賢・義治父子に上洛の協力を求めたが拒否され、観音寺城の支城・箕作城を攻撃、陥落させ、六角氏は観音寺城から逃亡した。信長と長政は義昭を奉じて上洛を遂げ、義昭は第十五代将軍となった。しかし元亀元(1570)年四月、信長は浅井氏との同盟条件を破って朝倉氏討伐のため越前に侵攻、浅井氏は信長との盟約を絶ち、朝倉氏と協同で信長軍を挟撃しようとしたが、信長はいち早く朽木谷を抜けて撤退した(金ヶ崎退き口)。信長は同盟を破棄した浅井氏を攻めるべく六月十九日、岐阜城を進発、二十一日に小谷城下を焼き払い、支城の横山城を攻めて浅井氏を小谷城から野戦に引き入れた。六月二十九日、浅井長政八千、朝倉景健一万と織田信長二万五千、徳川家康六千が姉川を挟んで激戦となり、緒戦は浅井・朝倉軍が優勢であったものの織田・徳川軍が逆転し、長政は小谷城に退いた(姉川合戦)。その後は浅井・朝倉連合は足利義昭の呼び掛けで武田信玄、本願寺一向一揆、比叡山らと呼応し信長包囲網を布き、元亀元(1570)年の比叡山、堅田での合戦や元亀三(1572)年羽柴秀吉が在番する横山城攻撃などの行動を起こす。元亀三(1572)年の七月には越前からの朝倉義景の援軍二万を小谷城の峰続き、大嶽城に迎え入れ、虎御前山の織田軍五万と対峙したが、越冬を理由に義景が撤退し、西上する武田信玄との挟撃作戦は失敗に終わった。

天正元(1573)年、武田信玄の死去、足利幕府の滅亡などで信長を巡る情勢が好転、八月八日、浅井の武将、山本山城主の阿閉淡路守貞征が羽柴秀吉の勧告に従って投降したのを機会に信長は岐阜を進発、翌九日に虎御前山に着陣した。朝倉義景の援軍本隊二万は小谷城へ入ることができず木之本付近に着陣したが、八月十二日、朝倉方の援軍が陣取る大嶽城が陥落すると朝倉本隊も総崩れとなり、越前へ敗走、信長軍は朝倉の本拠一乗谷まで追撃し八月二十日、朝倉義景を自刃に追い込んだ。朝倉滅亡後、ふたたび虎御前山に信長は陣取り小谷城を攻撃、八月二十六日に羽柴秀吉の一隊が本丸背後の京極丸を占拠し、本丸に籠る長政と小丸に籠る久政を分断した。翌二十七日、小丸の久政が自刃、信長は不破光治らを軍使に開城を勧告したが拒否され、長政は妻お市と三人の娘を織田陣営に還した後、二十九日に本丸下の赤尾美作守屋敷で自刃、落城した。

浅井氏滅亡後、北近江三郡は羽柴秀吉に与えられたが、秀吉は小谷城があまりに峻険すぎることと、琵琶湖の水運、北国街道の陸運を重視し城を長浜(今浜)に移し、小谷城は廃城となった。長浜城には小谷城から建物、石材などが多く移築された。そのうち小谷城の天守といわれる建物はのちに彦根城西の丸に移築され現存している。

中世五大山城の一つとしても有名な小谷城。戦国を飾る哀愁の城郭。浅井長政とお市が過ごし、そして永遠の別れを遂げた城。戦国の乱世に、絶世の美女と謳われながらも荒波に翻弄され、はかなく散っていった信長の妹、お市の方。北川殿、吉乃とともに、僕が最も会ってみたい歴史上の女性のひとりでもあります。覇王・信長の妹でありながら、その信長によってこの小谷城を攻められ、信長の義弟でありお市の夫である浅井長政は自刃します。信長は最後まで、長政に投降を促したようです。反逆者を決して許さない、といわれる信長ですが、長政のことは高く買っており、投降すれば釈免されていたかも知れません。が、長政はそれを潔しとせず、お市とその三人の娘を織田陣営に引き渡した上、最後まで奮戦し果てていきました。そこに、戻りようのない運命に弄ばれた、もののふの生き方を見るような気がします。お市の方はのちに柴田勝家に嫁ぎますが、平穏な日々もつかの間、本能寺の変、山崎合戦とめまぐるしく時代が動き出し、賤ヶ岳合戦で柴田勝家は羽柴秀吉に敗北、越前北ノ庄で猛火の中、勝家とお市は相果てます。時にお市の方、三十七歳。

ここを訪れるのは二度目、四日間の「関西城めぐり強行軍」の最後のお城になりました。一昨年の第一回目は前準備も無く、見学所要時間を考慮せずに日没タイムアウトになった反省から、十分な見学時間を確保しての訪問となりました。中世山城の究極形のひとつであると言われるだけあって、実にすばらしい遺構群です。尾根上に綺麗に並んだ曲輪群、要所要所の土塁、そして崩れかけた石垣(これが最高)、どれも、浅井三代の栄光と悲劇を、四百数十年のときを経て、我々に示してくれています。遺構の範囲も半端ではない広さです。番所前まで車で行けるのですが(ほんとは歩きたかったが時間優先)、そこから本丸、山王丸までの主要な各曲輪を見るだけでも相当の見ごたえがあります。この日はさらに大嶽(おおづく)まで登り、一度引き返してから清水谷を廻ったので、日没まで合計四時間、山中を歩き回りました。さすがに疲れました。でも満足度100%です。秋も終わりに近い十一月の後半、澄み渡った晩秋の空に枯葉が舞い、ときおり冷たい風が吹き付ける様は、もの哀しい落城劇を語り伝えようとしている如くに見えました。誰もいない赤尾美作屋敷の浅井長政自刃の地、お市の方や浅井三姉妹もいたであろう御局屋敷、清水谷の一番奥にある、長政やお市の方が普段暮らした屋敷の前に立ったとき、膝が震えました。いまでも、浅井三代とお市の方、浅井三姉妹は、ここで何かを伝えようとしているのかもしれません。

今回の観察で改めて分ったのは、きれいな連郭式山城を基本としつつも、本丸と中ノ丸の間の一見、曲輪かと思ってしまうほどの巨大な堀切によって、「一城別郭」的な要素の強い城だということです。いや、大嶽や山崎丸を含めると、U字型の多郭式複合城郭群とも言えるかもしれません。ともかく、この本丸と中ノ丸の堀切、そして崩れかけていて判然としませんがその堀切を遮るように存在していたであろう石垣を伴う城門によって、尾根上の曲輪群は完全に二つに分かれるわけです。そこがこの小谷城の強みでもあると同時に弱みでもあります。羽柴秀吉軍によって長政が守る本丸方面と父の久政が守る小丸、京極丸を中心とする曲輪群が遮断され、ただでさえ手薄な軍勢は二分されてしまうわけです。これだけ巨大な山城では、兵力が十分あれば難攻不落を誇るのでしょうが、いざ手薄になるとどうしても警戒網に穴ができてしまいがちで、そこに目をつけた秀吉は、悔しいけれどやはり城攻めの天才と言わなければなりません。

[ 小谷城めぐり1 埋もれた古城 ] [ 小谷城めぐり2 埋もれた古城 ]

 

交通アクセス

JR北陸本線「河毛」駅徒歩50分。

北陸自動車道「長浜」IC車10分。山麓および番所前に駐車場有り。

周辺地情報

支城群や、信長の陣城・虎御前山城などがありますが、それよりもまず小谷城を気合をいれて廻って欲しいと思います。

関連サイト

 

 
参考文献 別冊歴史読本「織田信長その激越なる生涯」(新人物往来社)、「元亀信長戦記」(学研「戦国群像シリーズ」)、「風雲信長記」(学研「戦国群像シリーズ」)、「ビッグマンスペシャル 織田信長」(世界文化社)、別冊歴史読本「戦国古城」 新人物往来社、「日本の城 ポケット図鑑」(西ヶ谷恭弘/主婦の友社)、「歴史読本」各号(新人物往来社)、「歴史と旅」各号(秋田書店)、現地解説板、湖北町観光協会パンフレット、現地ボランティア配布資料、他
参考サイト 近江の城郭

 

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