小谷城めぐり

-その2-

本丸と、背後の中丸、京極丸方面を断ち切る巨大な堀切。京極丸を乗っ取った羽柴秀吉軍と最後の攻防の舞台になったのはこのあたりではないでしょうか。 わずかに残った、大堀切と本丸方面を隔てる石垣。この斜面の下には御局屋敷があります。ここには石垣を伴なう門があったのでしょう。
御局屋敷。お市や、浅井三姉妹もここにいたのかもしれない。膝の震えが止まらなかった。 中丸へいたる虎口。石垣を伴なう枡形空間があったようです。
中丸の石垣。 本丸背後の中丸。ここから上は隠居の浅井久政や、かつて主君と仰いだ京極氏の屋敷があった場所。
中の丸から京極丸へ向かう石段と石垣。 京極丸虎口前の刀洗池。
わずかに石垣の残る京極丸虎口付近。 京極丸はかつて京極高清が暮らした屋敷。藤吉郎らは大野木土佐守の屋敷付近から夜陰に紛れてこの京極丸を乗っ取り、長政と久政を分断しました。
京極丸には高い土塁が見られます。かつては石垣であったかもしれません。 浅井久政自刃の地、小丸。久政はあくまでも越前朝倉氏との永年の縁を重んじましたが、結局それが、浅井氏を三代で滅亡させる結果に繋がってしまいました。

小谷城最高部に当たる山王丸虎口付近。崩れ果てた石垣が落城の悲話とともに、年月を感じさせます。 山王丸右手(東南)へ廻ると、小谷城随一の威容を誇る大石垣が見られます。見学路からやや外れるので見逃しそうですが、ぜひここは見て欲しいところ。
小谷城最高所にあたる山王丸。日吉山王を祀っていた、詰の丸にあたるところ。 山王丸の虎口に面して、高さ1.5mほどの石垣土塁が見られます。
山王丸から大嶽に至る途中にある六坊跡。久政の代に軍僧を住まわせた場所らしい。 小谷城と大嶽城の中間の尾根の鞍部。ここから南に清水谷、北に越前丸へと繋がります。大嶽へは、ここから約150mほどの高さを直登します。
清水谷へと降りました。かつて、この東本町・西本町の標柱付近に、武家屋敷区画と町屋の境目となる堀がありました。 遠藤屋敷。信長上洛戦では長政に信長暗殺を進言するも聞き入れられず、姉川合戦で信長本陣に突入しようとして斬られた遠藤喜右衛門直経の屋敷。
山城屋敷。詳しくは分かりませんが、久政の弟(長政の叔父)の浅井山城守の屋敷かと思います。 浅井氏の菩提寺であった徳勝寺跡。秀吉により移転され、現在は長浜城下にあるそうです。浅井氏三代の墓所もあるそうです。

そしてここが長政やお市が普段過ごした御屋敷跡。清水谷の一番奥になります。昼過ぎから四時間歩き回り、とうとう最後にここにたどり着いた時、感無量でした。

城下の小谷寺に着いた頃はもう真っ暗。長政の菩提を弔ってお市が植えたといわれる松の木の切り株があるそうですが、ご覧の暗さでもう見学不可能でした。

これで約4時間(大獄含む)最後の小谷寺に着いたときはもう陽も落ちて、あたりを夕闇が覆っていました。これでもまだ、大野木土佐守屋敷、山崎丸、福寿丸など見ていない場所がたくさんあるんです。それに、信長の陣城である虎御前山城や、浅井氏の支城など、周囲にも見所はたくさん。四日間にわたる関西城めぐり強行軍の旅のラストでしたが、早くも次の旅を思い描く、城馬鹿な僕でした。

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